「鈴木の後に鈴木無し」と三菱自動車の「処事光明」
月刊商人舎5月号の編集・入稿、
真っただ中。
横浜商人舎オフィスの裏の遊歩道。
新緑が気持ちいい。
葉書が二通、届いた。
平和堂の東海事業部部長・冨岡勇夫さんと、
アルプラザ茨木支配人の三田村勝彦さん。
先週、帰国した視察団の団長・副団長。
熱の入ったメッセージ。
ありがとう。
成果を出そうよ。
応援します。
しかし先週、木曜日に帰ってきたんだ。
まだ、1週間経っていない。
ああ。
月刊コンビニ5月号が届いた。
1998年8月に㈱商業界『食品商業』誌から、
臨時増刊号の季刊誌として創刊。
私は取締役編集統括兼食品商業編集長で、
鈴木由紀夫さんに編集長になってもらって、
二人で創刊した。
その後、2002年8月、
商業界6番目のメディアとして月刊化。
私がちょうど専務取締役に就任した時だ。
しかし昨年、
㈱アール・アイ・シーに売却され、
その社長の毛利英昭さんが、
オーナー兼編集長。
実質的な編集業務は、
元商業界取締役編集担当の梅澤聡さんが、
編集委員として担当している。
そして毛利・梅澤コンビによって、
このメディアは、
現経営陣の時代の内容よりも、
ずっと良くなった。
毛利編集長が、
巻頭の「今月の視点」を書いている。
タイトルは「経営史に残る瞬間」
そう、鈴木敏文さん退任のこと。
「合理化というと、大抵は
自分の会社のことばかりを考える。
私たちはお客様の便利を優先してきた」
毛利編集長は引用する。
「お客様の生活の合理化を優先すれば、
自分たちの会社の仕事は増え非効率になる。
それを、業務改革やシステム化によって、
自分たちの合理化を果たす。
そんなことを発想し実践できる会社は
そうはない」
毛利編集長は感銘する。
まったく同感だ。
鈴木敏文退陣するも、
鈴木の前に鈴木無し、
鈴木の後に鈴木無し。
セブン-イレブンに関して、
鈴木敏文のこの点は、
なんぴとも否定できない。
そしてこれからのセブン&アイは、
それを前提に革新されねばならない。
さて、三菱自動車のデータ改ざん問題。
軽自動車4車種で燃費試験のデータを、
不正に操作していた。
対象台数は62万5000台。
2013年発売の「eKワゴン」の開発では、
11年2月から13年2月までの2年間に、
燃費目標を5回、上方修正。
日経新聞の記事では、
「同時期に競合他社から
燃費性能を高めた車両が発売されたため、
これを意識して目標を上げていたとみられる」
相川哲郎社長の発言。
「自浄作用がはたらかなかった」
今日の『私の履歴書』で、
三菱地所の福澤武さんは書いている。
こちらも1997年の「海の家事件」で、
総会屋への利益供与を摘発され、
その直後に、企業行動倫理憲章をつくる。
その基礎になったのが、
三菱第4代社長岩崎小弥太の『三綱領』
1.所期奉公
2.処事光明
3.立業貿易
福澤さんは、それを英語に読み替える。
①パブリック
②フェア
③グローバル
「この憲章は今も社内の事務室や
会議室、応接室に掲げてある。
何より、我々一人一人が肝に銘じている」
残念ながら、三菱自動車という会社には、
小弥太の「三綱領」が生きてはいないようだ。
相川社長は「生え抜きエース」で、
「技術屋魂」を持った経営者と言われた。
皮肉にも「eKワゴン」の新車開発は、
相川氏の手によるものだった。
ただし父親の相川賢太郎氏は、
三菱重工の社長、会長を歴任。
三菱グループの重鎮だった。
「自浄作用」などと、
無責任な言葉を漏らす前に、
「処事光明」である。
三菱グループのホームページにある。
「処事光明」=「フェアープレイに徹する」
「公明正大で品格のある行動を旨とし、
活動の公開性、透明性を堅持する」
さらに丁寧に書かれている。
「競争に熱中し、数字を上げるために、
手段や方法を選ばないというようなことが
…あってはならない」
(1920年、小弥太のスピーチ)
小弥太は100年近くも前に、
今回のようなことを、
予見し、警告を与えていた。
「…われわれは常に
社会正義とは何かということを
念頭において行動しなければならない」
「不正には正義を、
権謀には正直をもって、
われわれは行動すべきである…」
いま、三菱自動車、
いや、三菱グループがなすべきことは、
「正義と正直」の貫徹である。
それしかない。
自浄作用ではない。
〈結城義晴〉