ラスベガスへ旅立った「13日の金曜日」の勇気とは?
三菱自動車燃費データ改ざん。
日産自動車がホワイトナイトとなって、
救済に入った。
これはもう、三菱グループに、
その力がないことを浮き彫りにしてしまった。
2000年と2004年に発覚したのが、
大規模なリコール隠し。
この時には、三菱グループが総力を挙げて、
廃業・倒産だけは防いだ。
今回は日産の支援。
毎日新聞『余録』は、
「不行跡が過ぎて『仏の顔も三度』と勘当され、
他人の世話になる落語の若旦那を思わせる」
日産・ルノー連合は三菱自動車を加えて、
世界販売台数959万台。
第1位トヨタ、第2位フォルクスワーゲンに迫る。
その日産のカルロス・ゴーン社長。
日経新聞のインタビューにきっぱり。
「不祥事で失った信頼の回復は
三菱自動車が自らの責任で取り組む問題だ」
「日産の支援を受けて自ら変革することだ。
日産も一歩ずつ時間をかけて復活してきた。
三菱自動車が自主性をもって経営し、
日産が支援する」
さらに三菱自動車の再生。
「やり方はわかっている。
1999年に日産に来たときは、
2度の再建計画がうまくいかず
困難な会社だった」
そして自信を見せる。
「これからやることのほうが
大変だとは思わない」
私も㈱商業界社長時代、
会社再生の時、ゴーン流を採用した。
クロスファンクショナルチームを編成して、
部門の垣根を取り去るやり方だ。
日産がホワイトナイトとなって、
世界競争が展開される。
さて、4月のアメリカ小売業売上高。
市場予測は前月から0.8%の増加。
変動の大きい自動車・同部品を除いたベースでは、
前月比0.5%増の見込み。
3月は前月比でマイナス0.3%だった。
自動車の落ち込みが大きかったからだ。
4月は自動車販売が持ち直す。
しかし4月の雇用統計では雇用者数が大幅下落。
それだけ、個人消費の動向が重要となる。
私たちはそのアメリカに、
飛び立とうとしていた。
東京成田国際空港。
今回はデルタ航空。
2008年にノースウェスト航空を買収して、
世界最大の航空会社となったが、
現在は、第1位アメリカン航空、
第2位ユナイテッド航空。
滑走路まで進んだ私たちの機体。
まさに期待を乗せて、
飛び上がるばかりになっていたが、
なぜかゲートに戻った。
そして再度、給油してから、
2時間半後に滑走路へ。
そして飛び立った。
霞ヶ浦にはもう夕闇が迫っていた。
犬吠埼も夕陽に美しい。
情報系統が不具合を起し、
アトランタの本社とやり取りをしたが、
問題が解決するまで時間を食ったらしい。
それでも8時間後に、アメリカ大陸に近づく。
そして見えてきました。
シアトルの街。
しかしこのシアトル・タコマ空港で、
大混乱。
私たちの乗り継ぎ便はすでに離陸していて、
53人分の次の便の手当てが進まない。
結局、8便に分かれて、
ラスベガスに向かうことになった。
デルタ航空とアラスカ航空の
国内線を利用。
最初の便は午後3時過ぎ、
次が4時過ぎ、三番手が5時過ぎ、
その後、6時台の便、最後は9時台と、
団員は8チームに分かれて、
それぞれ主だったチームに事務局が入って、
ラスべガスに向かった。
直行便は一番いい。
ロサンゼルス経由便、
ソルトレークシティ経由便などなど。
さまざまな乗継便で各自がラスベガスに向かった。
デルタ航空のフロントデスクは、
混乱の極み。
私は第一便に乗り込んで、離陸。
すぐに、シアトルのレーニア山が見えた。
カスケード山脈の最高峰。
標高4392mの「タコマ富士」
もう一つ富士に似た美しい山。
そして北アメリカ大陸の土色の大地。
岩肌に刻まれた自然の偉大さ。
これを見ていると、
「地球に優しい」なんて言葉はあたらない。
むしろ人間の浅はかさ、傲慢さを、
表しているのだと痛感させられる。
2時間ほど経過して、
シェラネバダ山脈。
頂には積雪が見える。
そして2時間半、最後の山肌を超える。
すると山裾まで広がるサバーブ、
新興住宅地。
ラスベガス渓谷。
その中心部のストリップとマッカラン空港。
このホテル群がラスベガスの中心部。
機体は回り込んで、
ヘンダーソン地区。
私たちが明日、クリニックするエリア。
到着しました。ラスベガス。
Welcomeと迎えてくれた。
ホテルに着くと、もうネオンサイン。
第7陣がホテルに着いたのは、
夜の12時半になっていた。
お疲れさま、ご苦労様。
それでも、意外に、みんな明るかった。
元気だった。
予想しない出来事に出会った、
冒険者たちのようだった。
勇気とは
未知なる世界に一歩、
目隠しで踏み込む
心のあり方だ。
その勇気を全員が体験した。
しかし、最後のチームは、
とうとう便を確保することができず、
シアトル宿泊となってしまった。
考えてみると、
今日は日本時間で、
13日の金曜日だった。
Amen!!
(つづきます)
〈結城義晴〉