日本男子体操団体金メダルと岩井克人「株主主権論の破綻」
リオデジャネイロのオリンピック。
体操男子団体で金メダル。
じつに、うれしい。
小学校の5・6年生のころ、
担任の太田清美先生は、
クラス全員50人に機械体操を教えた。
男子は全員がバク転ができるようになった。
女子も全員が回転ができた。
バク転は「バックハンドスプリング」
後方倒立回転跳び。
回転は「ハンドスプリング」
前方倒立回転跳び。
6年の終わり、卒業間近のころ、
私たちの宮谷小学校6年2組は、
横浜体育館でその演技を披露した。
拍手喝采を浴びた。
側転からバク転への連続技の爽快感。
何とも言えないものだった。
中学に入ると、
器械体操部に入部した。
部員は少なくて、
中高一貫教育の学校だったので、
高校生と一緒に練習した。
私が中学一年生のころ、
高校一年生の先輩が、
野渡和義さんだった。
現在のユースキン製薬㈱代表取締役社長。
今回も、野渡先輩と連絡を取った。
ともに体操男子団体優勝に感動した。
日本体操界は、1960年代から5期連続で、
オリンピック団体金メダルを獲得した。
1960年のローマオリンピックは、
小野喬・遠藤幸雄を中心に、
竹本正男・相原信行・鶴見修治・三栗崇の6人。
このころから日本では、
器械体操がブームのようになってきた。
そして1964年の東京オリンピック。
私は小学校6年生だった。
遠藤幸雄がエースで、個人総合優勝、
団体メンバーは遠藤幸雄・小野喬が中心で、
吊り輪の早田卓次、跳馬の山下治広、
鶴見修治・三栗崇のメンバーだった。
テレビでリアルタイムで見ていて、
興奮した。
山下治広は「山下跳び」で跳馬金メダル。
これにも感動した。
そして私が高校1年の1968年。
メキシコオリンピックで団体金メダル。
加藤澤男がエースとなっていて、
個人総合と床運動でも金メダル。
美しいラインを出す、名手だった。
私は加藤澤男の大ファンだった。
遠藤幸雄もいたし、
塚原光男や中山彰規もいた。
加藤武司・監物永三がわき役だった。
1972年のミュンヘンオリンピックのときには、
大学生になっていたが、
このときにも日本男子は団体優勝。
加藤澤男は2大会連続で個人総合金メダル。
中山彰規・笠松茂・監物永三・塚原光男、
そして岡村輝一がメンバー。
塚原はこの大会であの「月面宙返り」を生んだ。
さらに1976年のモントリオール。
日本は塚原光男、加藤澤男を中心に、
5大会連続の団体優勝。
五十嵐久人・梶山広司・監物永三・藤本俊。
そして1980年、モスクワオリンピック。
日本は参加をボイコットして、
連続優勝の記録は途絶えた。
それと同時に体操競技そのものが、
やや、ブームも下り坂となった。
考えてみると、
私の青春は体操とともにあった。
私自身はまったくのへぼ選手だったけれど。
だから現在の体操競技の技は、
もう想像をはるかに超えたすごさだ。
それでもみんな、
ハンドスプリングや、
バックハンドスプリングからはじめて、
すごい技を身に着け、
それを完ぺきに演じているのだ。
エース内村航平、
オールラウンダー加藤凌平、
平行棒、鉄棒の田中佑典、
吊り輪と跳馬が得意な山室光史、
そして床運動と跳馬の天才・白井健三。
おめでとう、ありがとう。
4年後の2020年には、
56年ぶりに再び東京オリンピック。
もう一度、あの夢を見たい。
三日月が美しかった。
さて今日は一日、横浜商人舎オフィス。
夕方、鈴木堅さん来社。
㈱日本名刺印刷代表取締役社長。
もちろん月刊商人舎の印刷から、
セミナーパンフレット、
研修会テキストまで、
すべての印刷を担当してくれている。
名刺印刷からはじめて、
プリント事業の多店化を志向する。
私は事業家としての鈴木堅に、
大いに期待している。
さて日経新聞『経済教室』に、
岩井克人さん登場。
現在は、国際基督教大学客員教授、
東京大学名誉教授。
あの宇澤弘文先生の弟子で、
著書は『会社はだれのものか』(平凡社)、
『会社はこれからどうなるのか』(平凡社)、
『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房)、
『二十一世紀の資本主義論』(筑摩書房)など、
いい本ばかり。
今回のタイトルは、
「問われる資本主義」
米国共和党ドナルド・トランプ大統領候補選出、
英国国民投票の欧州連合離脱。
「この2つの出来事には多くの共通点がある」
「グローバル化の中で
巨万の富を得ているエリート層に対して、
残りの非エリート層が
異議申し立てをしているのだ」
「格差批判は世界的な広がりを持つ。
だが私が注目するのは、それが米英で
最も先鋭的な形で表れたことである」
「両国での格差の急拡大こそ、
米英型資本主義が旗印にしてきた
『株主主権論』の破綻を
意味するからにほかならない」
これが岩井さんの主張。
岩井さんはトマ・ピケティ理論の矛盾を示し、
80年代以降の米英での極端な格差拡大を、
起因させたものを明らかにする。
「何と皮肉な事態なのだろう」
「米英両国が推し進めてきた
自由放任主義政策は、
同時に『株主主権論』も
推し進めてきたからだ」
そして「株主主権論」を説明する。
「会社は株主のものであり、
経営者は株主の代理人として、
株主資本の収益率を
最大化すべしという主張だ」
「だが株主主権論の旗印の下で
実際に大きく上昇したのは、
資本所得ではなく、
経営者の報酬だった」
なぜこうした逆説が生まれたのか。
岩井さんは言い切る。
「それは株主主権論が
理論上の誤りだからだ」
この言い切り、素晴らしい。
加藤澤男や内村航平の技の切れのようだ。
「株主主権論は、会社の経営者には
会社に対する『忠実義務』という倫理的義務が
課されていることに目を塞いでいる」
会社は法人である、
これが岩井さんの原点。
「法律上の人でしかない会社を
現実に人として動かすには、
会社に代わって決定を下し
契約を結ぶ生身の人が不可欠だ。
それが経営者なのだ」
「もし経営者に自己利益の追求を許すと、
会社の名の下に自分を利する
人事決定や報酬契約を行うことが可能となる。
それを抑制するのが忠実義務である」
「ところが株主主権論は、
経営者は株主の代理人だと称して、
この倫理的義務を株式オプションなどの
経済インセンティブに置き換えてしまった」
岩井さんはいう。
「まさにそれは、
自己利益追求への招待状だ」
結果として、米英の経営者は、
自分たちの報酬を高騰させ始めた。
その帰結が、米国トランプ旋風と英国EU離脱。
しかし、岩井克人、
再び技の切れを見せる。
「私は実は、これらの混乱が
米英で起きたことに、
一条の希望の光を見いだしている」
んっ?
「ベルリンの壁崩壊以降、
もはや社会主義は選択肢ではない。
私たちは、資本主義の中で
生きていかざるを得ない」
「もし米英の格差急拡大が
資本主義本来の傾向の
顕在化であるとしたら、どうなるか。
エリートと非エリートの抗争により、
資本主義は内部分裂し、
混乱に満ちた新たな中世を
迎えざるを得ないだろう」
「これに対して、米英の格差急拡大が
株主主権論の誤りに起因するものならば、
まだ選択肢は残されている」
ズバリ。
「その誤りを正せばよい」
「株主主権論を捨て去った後の資本主義が
どのような形になるかはまだ模索中だ」
結論はストイックだ。
「資本主義とは本来的に
倫理性を要求するシステムであること。
まずそれを確認することから
出発しなければならない」
マックス・ヴェーバーに戻ること。
『プロテスタンティズムと資本主義の倫理』
ヴェーバーは考えた。
プロテスタンティズムのもつ、
合理的禁欲の性格が、
初期の資本形成を可能にした一要因である。
そう、倫理性の経営。
忠実義務の経営。
ここからのスタート。
混迷する資本主義社会、民主主義社会。
そこに論理の切れを見せた岩井克人。
日本男子体操の金メダルと同様の解放感を、
私は味わった。
〈結城義晴〉