孫子と野村克也とクリフォード・ギアツの「勝ちと負けと変容」
勝つ者あれば、負ける者あり。
リオデジャネイロ・オリンピック。
レスリング フリースタイル女子は大活躍。
48kg級の登坂絵莉選手、
63kg級の川井梨紗子選手、
69kg級の土性沙羅選手。
三人は初の金メダル。
58kg級の伊調馨選手は史上初の四連覇。
一方、53kg級の吉田沙保里選手は、
決勝戦で負けて、銀メダル。
伊調と吉田は、
どこか、おずおずとしていた。
勝ち続けた者だけが知る勝負の怖さが、
体全体に表れていた。
それでも、伊調と吉田には、
明暗が訪れた。
初めて挑む者たちは、
怖いもの知らずだった。
バドミントン女子ダブルスのタカマツペアー。
高橋礼華選手と松友美佐紀選手。
互いに補い合い、助け合って、
勝利の金メダル。
ピーター・ドラッカー先生が分析する、
最良のマネジメントスタイル。
ダブルス型の最高水準。
そして甲子園高校野球大会。
いつの間にかといった感じで、
ベスト4が残って準決勝。
栃木の作新学院高校と、
高知の明徳義塾高校。
南北海道の北海高校と、
熊本の秀岳館高校。
孫子曰く、
勝つべからざるは己れに在るも、
勝つべきは敵に在り。
勝てない原因は自分の側にあり、
勝てた理由は敵の側にある。
すなわち敗北はいつも自滅から起こり、
勝利はつねに敵失によってもたらされる。
野村克也の言葉として有名なのが、
勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし。
実は野村の創作ではなく、
江戸時代の肥前国平戸藩主・松浦静山の言葉。
静山は大名ながら心形刀流剣術の達人で、
剣術書『剣談』を書いた。
酷なようだが、
伊調馨は不思議の勝ちであったし、
吉田沙保里は不思議の負けではなかった。
見ていて、そう感じた。
ただし、これらの真剣勝負を、
女性たちが演じたことに、
静かな感動を覚えた。
こころからご苦労様。
勝つも負けるも、
ほんとうに素晴らしかった。
もう、すこし、
リオ五輪を楽しませてもらおう。
甲子園も応援させてもらおう。
感謝しつつ。
仕事も商売も、
失敗はいつも自らに原因があり、
成功はつねに相手に理由がある。
この謙虚さは必須である。
朝日新聞『折々のことば』
鷲田清一編著。
他の人々の生を私たちは
私たち自身が磨いたレンズで見るし、
彼らは私たちの生を
彼らのレンズで見る。
(クリフォード・ギアツ)
『解釈人類学と反=反相対主義』
2002年にみすず書房から刊行された。
2006年10月30日に80歳で亡くなった、
アメリカの文化人類学者。
第二次大戦では海軍に従軍、
ハーバード大学で博士号を取得。
シカゴ大学教授から、
プリンストン高等研究所教授を経て、
プリンストン高等研究所名誉教授。
「異なる文化にふれても、
人はついに自分の眼鏡を外せない」
オリンピックでは、
選手たちは異なる文化に触れる。
しかしなかなか、
自分の見方を変えられない。
「だが重要なのはその次だ」
「すべては相対的だと居直るのでなく、
文化の違いを超える
普遍的な見方を想定するのでもなく、
視線がぐらつき、
別のものへと変容するところまで
自身を隔てることだ」
自分が別のものへと変容する。
そこまで自分を隔てる。
肉体を直接、ぶつけ合うオリンピック競技は、
自分の視線をぐらつかせ、
自身を隔てさせる。
しかし、ある一瞬、
自分を別のものへと変容させる。
高橋礼華も松友美佐紀も、
登坂絵莉、土性沙羅、
川井梨紗子も。
とりわけて吉田沙保里と伊調馨は、
それを20年近くも、何度も体験した。
勝ちや負けは「不思議」に影響されるが、
この「変容」は彼女ら自身のものだ。
それこそ、彼女らに与えられた、
オリンピックの神様からのご褒美だろう。
こころから、ありがとう。
しかし、商売の神様からのご褒美、
あなたはもらえるか。
〈結城義晴〉