立教・結城ゼミの「リベラルアーツ」と「功成って而も居らず」
今日は東京・池袋。
メトロポリタンホテルの隣の、
ブルーオーシャングリル。
立教大学大学大学院ビジネス研究科、
私は5年間、特任教授を務めたが、
その私のゼミを結城ゼミという。
5年間で30人の修士を育てた。
その結城ゼミのOB・OG会。
結束の固いゼミで、
私が退任した後も、
定期的に集まって懇親を深め、
近況を報告し合ったり、
互いに協力し合ったりする。
昨日、私の誕生日だったので、
最後に花束を贈ってくれた。
結城ゼミ2期生の児玉桜代里さんから。
現在、明星大学経営学部准教授。
そして最後に、全員で写真。
ありがとう。
さて、昨日の日経新聞『大機小機』
テーマは、
「人材育成の指針」
「企業は人なり。
人材の発掘と育成は
企業の最重要課題である」
「企業活動がグローバル化し
急速に多様化するなか、
ハウツー的な人材育成は
多少は役に立つが、
ゴーイングコンサーンとして、
その大黒柱を背負って立つ人材を
育成するには物足りない」
「不易的、普遍的、
原理主義的な
コンセプトを
実践、習得させる
エリート教育が
なくてはならない」
大学院教育は、
このエリート教育である。
企業内大学も、
趣旨は全く同じだ。
やや原理的になるが、
リーダーに要求される基本は
「知力」「体力」「胆力」。
コラムニストは、
必要な考え方を並べる。
「平常心」「自然体」
「正々堂々」「誠心誠意」
さらに難しいことだが
「無私の心」を持つこと。
次に徳目を身につける、
「徳・仁・礼・信・義・智」
並行して、
「進取の気性、
旺盛なる冒険心、
革新的思考、
目標達成意欲、
国際性、社会性」
これらは実践の場で習得させる。
「一巡するとスパイラル的に
質を高めながらサイクルを回す」
最後に、
「意識してリベラルアーツの
向上を課していくことで、
さらに魅力ある、
世界に通用する
人材を育成できる」
このリベラルアーツこそ、
立教大学が1874年の創立以来、
教育の理念に掲げる考え方である。
「リベラル・アーツ教育は、
知性、感性、そして身体のバランスを
配慮した全人格的な教育であり、
一人一人のさまざまな可能性を
育もうとするもの」
結城ゼミのみんなも、
それは忘れないでほしい。
今日も最後は『老子』
その第二章。
小川環樹訳注。
天下、皆(みな)、
美の美
為(た)ることを知る、
斯(これ)、悪なる己(のみ)。
天下すべての人がみな、
美を美として認めること、
そこから悪さ(みにくさ)
(の観念)が出てくる。
皆、善の善
為ることを知る、
斯、不善なる己。
(同様に)
善を善として
認めること、
そこから不善(の観念)が
出てくるのだ。
美から醜さが出てくるし、
善から不善がでてくる。
故(まこと)に
有無相生(うむあいしょう)じ、
難易相成(なんいあいな)し、
長短相形(あら)わし、
高下(こうげ)相傾け、
音声相和し、
前後相随(したが)う。
有と無はたがいに
(その対立者から)生まれ、
難しさと易しさは
たがいに補いあい、
長と短は明らかにしあい、
高いものと下(ひく)いものは
たがいに限定しあい、
音と声はたがいに調和を保ち、
前と後ろはたがいに順序をもつ。
これはヘーゲルの考え方と同じ。
是(ここ)を以て聖人は、
無為(むい)の事に処(お)り、
不言(ふげん)の教えを行なう。
それゆえに、聖人は
行動しないことにたより、
ことばのない教えをつづける。
これがわかりにくいし、
なかなかできない。
万物は作(つか)われて
而(しか)も辞せず、
生じて有せず、
為して而も恃(たの)まず、
功成って而も居(お)らず。
万物はかれによって
はたらかされても、
(その苦労を)いとわないし、
かれは物を育てても、
それに対する権利を
要求せず、
何か行動しても、
それによりかからないし
仕事をしとげても、
そのことについての
敬意を受けようとはしない。
ここが大事なところ。
私もこうありたいと思っている。
夫(そ)れ唯(ただ)居らず、
是(ここ)を以て去らしめられず。
自分のしたことに
敬意を受けようとしないからこそ、
かれは(到達したところから)
追いはらわれないのである。
ありがとう、こころから。
〈結城義晴〉