【日曜版・猫の目博物誌 その39】こいのぼり
猫の目で見る博物誌――。
猫の目はいつも季節を感じる。
ボクはこの世にいないけれど、
空を泳ぐこいのぼりは、
ボクの近くにいます。
青い空のこいのぼり。
甍(いらか)の波と雲の波、
重なる波の中空(なかぞら)を、
橘(たちばな)かおる朝風に、
高く泳ぐや、鯉のぼり。
開ける広き其(そ)の口に、
舟をも呑(の)まん様見えて、
ゆたかに振う尾鰭(おひれ)には、
物に動ぜぬ姿あり。
百瀬(ももせ)の滝を登りなば、
忽(たちま)ち竜になりぬべき、
わが身に似よや男子(おのこご)と、
空に躍るや鯉のぼり。
小学唱歌『鯉のぼり』
〈作詞者不詳、作曲・弘田龍太郎〉
大正2年の1912年、
大正デモクラシーの初めのころ。
赤い鳥運動の直前の歌。
もうひとつは、『こいのぼり』。
やねよりたかいこいのぼり
おおきいまごいはおとうさん
ちいさいひごいはこどもたち
おもしろそうにおよいでる
〈作詞・近藤宮子、作曲・不明〉
漢字で「鯉幟」
「皐幟」(さつきのぼり)と言ったり、
「鯉の吹き流し」と呼ばれたり。
江戸時代の武家や商家から始まった。
ただし当時は江戸中心、関東中心、
上方(関西)では見られない風習だった。
もともとは旧暦の「端午の節句」に、
男児の出世と健康を願って、
鯉の形に模してつくった幟を、
屋敷の庭先に上げた。
吹流しは風をはらませて、
たなびいた。
旧暦5月5日は、
今年2017年は5月30日。
重要な点は、
5月5日まで飾られたこと。
現在のイメージは、
晩春から初夏の晴天の青空。
なぜ、鯉なのか。
出展は中国の正史『後漢書』の故事。
黄河の急流に「竜門」という滝がある。
この滝を多くの魚が登ろうと試みた。
しかし鯉だけが登り切って、
竜になることができた。
つまり「鯉の滝登り」
これが「立身出世」を象徴して、
男児の祝いに使われた。
「登竜門」の言葉は、
この故事に基づいている。
江戸時代は黒い真鯉だけだった。
明治時代から真鯉と緋鯉の対になった。
昭和時代に入ると、
ファミリーを表して、
青い子鯉が添られた。
最近では、緑やオレンジ、ピンクまで、
華やかな色の子鯉も出回っている。
一般的には、
竿の先に回転球やかご玉、
その下に矢車。
そして五色の吹き流しが一番上、
その下に真鯉、緋鯉を、
大きさの順に並べて揚げる。
ゴルフ場には、
230ヤードの地点を示す吹き流しがある。
これらも端午の節句までは、
小さなこいのぼりにしたらどうだろう。
こいのぼりの名所。
まず生産量日本一の埼玉県加須市。
(加須市ホームページより)
長さ100メートル、重さ350kg。
世界最大のこいのぼり。
1988年の「さいたま博覧会」の際に、
加須青年会議所がつくってPRした。
その後、毎年5月、
利根川河川敷の市民平和祭で、
巨大な姿を見せる。
群馬県館林市では、
「こいのぼりの里まつり」
掲揚数世界一で、
2005年、ギネス世界記録に登録。
3月下旬から5月中旬まで開催。
(「健康一番 http://amccrh.com/1253.html」より)
5000匹以上のこいのぼりが、
4カ所で掲揚される。
もうひとつ、
熊本県阿蘇郡小国町の杖立温泉。
3500匹のこいのぼりが立てられる。
(杖立温泉観光協会より)
江戸っ子は皐月の鯉の吹流し
やはり江戸から始まったこいのぼり。
ただしこの五七五には、下の七七がある。
口先ばかりではらわたは無し
なるほど。
青空にたなびくこいのぼり。いいなあ。
生きている実感があります。
桜の季節は桜を楽しむ。
こいのぼりも5月5日まで、
楽しんでください。
ボクもそばにいます。
(『猫の目博物誌』〈未刊〉より by yuuki)