小関智弘「雑用という名の仕事はない」とアラン「上機嫌療法」
「カール・ショック」
実に皮肉な消費者心理だ。
「カールおじさん、お疲れさま」
Daily商人舎の流通SuperNewsでも、
こう言って、別れを告げた明治の「カール」
東日本での販売終了が発表されると、
スーパーマーケットでは、
駆け込み購買客が急増。
日経新聞の報道では、
サミットで前日比6倍の売れ行き。
ライフコーポレーションでは、
首都圏で4倍、近畿圏でも2.4倍。
この駆け込み需要で売場は混乱し、
品切れの店舗も相次いだ。
しかし、コンビニ大手4社のうち、
販売しているのはファミリーマートの、
それも一部店舗だけで、
日経によると「大きな影響はない」
コンビニの店頭に在庫がなく、
スーパーマーケットには残っている。
配送効率のよくない商品で、
それがこんな現象として現れている。
コンビニの顧客はトレンドに敏感で、
スーパーマーケットはその逆。
だから販売終了が発表された商品が、
その店頭に残っていた。
それがまた、
「さよならシンドローム」
で、惜しまれて、人気を博する。
それならばもっと、
カールを買ってくれよ!!
そんなふうにも思うが、
これが消費者心理というものだ。
かといって、カールを、
元通りに販売するとまた、
効率の悪い商品となってくる。
「閉店商法」というのがある。
「閉店セール」を謳いつつ、
閉店せずに売り続ける。
これは一種の詐欺だ。
しかしそれでも、
不思議なことに、
人間は「閉店」に惹かれる。
さて朝日新聞「折々のことば」
野に雑草という
名の草がないように、
工場には雑用という
名の仕事はない
(作家・小関智弘「どっこい大田の工匠たち」から)
「雑草という名の草はない」
昭和天皇がこの趣旨の言葉を残された。
一方、小関智弘は、
長く旋盤工として働いた。
「機械に油を注し、
コークスを熾し、
焼き入れをするなど、
工場では当たり前の作業のすべてが、
機械や鋼の生命を知るきっかけになる」
小売店舗にも、
雑用という名の仕事はない。
サービス業の店にも、
雑用という仕事はない。
どんな仕事にも、
雑務はない。
実は商品にも、
雑貨というものは、
ないのだと思う。
店に並んでいる商品はすべて、
一つひとつが貴重な一品だ。
「雑」という言葉を辞書で調べると、
その意味は6つある。
第1は、
いろいろなものが入りまじっている。
まじりけがある。まじる。
「雑種・雑食・雑炊・雑魚(ざこ)・複雑」
第2は、多くのものが統一なく集まっている。
「雑多・雑然・雑学・雑録・雑記・雑談」
さらに「混雑・乱雑など」
第3は、主要でない、いろいろのこと。
上級の役目を持たない。
「雑用・雑務・雑役・雑穀・雑書・雑貨」
さらに「雑事・雑音・雑念・雑巾・雑言」
どうやらこれが、
小関の指摘するところのようだ。
雑用があり、雑務、雑役があり、
雑貨がある。
第4は、行き届いていない。念入りでない。
「雑に扱う」
第5は、有用でない。
例として「雑草」
これが昭和天皇のご指摘の箇所。
そして第6に、
他の分類にはいらないもの。
はっきりと区別が立てにくいもの。
例題は「雑(ぞう)の部」
この第6の「雑」に英語をあてると、
「general」になる。
general merchandiseは、
その他の商品群であって、
「雑貨」ではないし、
ましては総合的な商品群ではない。
編著者・鷲田清一さん。
「人についても同じ。
誰のいかなる生涯も、
時代を触診するときの
貴重な証言としてある」
ただし「雑人」という言葉がある。
「ぞうにん」と読んで、
「身分の低い者、下賤の者」とある。
「雑兵」という言葉もあって、意味は、
「指揮者や役づきでない、身分の低い兵隊」
鷲田さんは、いかなる生涯も、
貴重な証言だという。
まったく同感だ。
だから私は、
「ワーカー」(worker)という言葉を、
雑人や雑兵のように、
貶めて使うのが嫌いだ。
現在の日本では、
使わない方がいいと思っている。
ゴルフでは、
「どんな一打も一打だ」
300ヤード飛ばすドライバーも、
ひと転がりのパットも、
一打は一打。
仕事や商品も、もちろん人間も、
ゴルフの一打と同じように考えたらいい。
一打一打を大切に、
丁寧に、慎重に。
そして上機嫌で。
この「上機嫌」は、
アランの「幸福論」にある。
アランはフランスの哲学者・評論家。
エミール=オーギュスト・シャルティエ。
1868年~1951年。
「すべての不運や、
とりわけつまらぬ物事に対して、
上機嫌にふるまうことである」
これを「上機嫌療法」という。
「そうすると、
坂道が足をきたえるようなぐあいに、
ちょっとした心配事が、反対に、
きわめて役に立つようになる」
私もこれを実践している。
ときには愚痴も言うけれど。
「世の中には、非難しかえしたり、
たえず苦情を訴えたりするために
集まるいやな連中がいる。
普通のときには、
人は彼らを避けるものだが、
上機嫌療法では反対に、
彼らをさがすのだ」
アランは具体的に教えてくれる。
「私は友人や知人たちを、
不機嫌の順にならべ、
そして次々に練習する」
「彼らが、
ふだんよりもはるかに気むずかしく、
ことごとに文句を言うような場合には、
私はこう考える。
“やあ、これはいい試験だ。
勇気を出せ、わが心よ、
さあ、あの不平をもっと
あおり立ててやれ。”」
一打一打を大切に。
一品一品も大切に。
一人一人も大切に。
上機嫌療法で。
「カール」も、
東日本では販売終了となるが、
「雑品」ではなかった。
それは商品の歴史の上でも、
評価しておかねばならない。
そして上機嫌で、
廃番になるのがいいだろう。
〈結城義晴〉