今東光「上等な暇つぶし」とEATALYの「eat better, live better」
朝日新聞一面の「折々のことば」
日本に帰ってきて、
新聞を生で読むのも、
歓びの一つ。
もちろん向こうでも、
毎日、ネットで読んでいるけれど、
やはり紙の感触は他に代えがたい。
第936回、鷲田清一編著。
今日は気分がいいから、
教えてあげよう。
人生はな、
冥土までの暇つぶしや。
だから上等の暇つぶしを
せにゃあかんのだ。
〈今東光(こんとうこう)〉
「週刊プレイボーイ」元編集長・島地勝彦。
若い頃、今東光先生に訊いた。
作家で中尊寺貫主(かんす)。
「大僧正。人生って、
一言でいったら何なんですか?」
答えが「上等の暇つぶし」
戴(いただ)いたこの答えに、
以後すっかり「生きることが楽になった」
「貧しくとも凝りに凝って、
納得のゆくまで?」
(『プレイボーイの人生相談』のまえがき)
「学校」を意味する英語はschool。
フランス語でécole。
ドイツ語で、Schule、
イタリア語ではscuola。
そしてこれらの言葉のもととなったのが、
古代イタリア語のラテン語で、
ラテン語では「scholae」。
さらにその語源は、
ギリシア語の「schore」。
そしてこのschoreの意味は「余暇」、
つまり「ひま」。
ギリシア人は、
哲学するためには、
「時間がいる」と考えた。
だからギリシア語「schore」の暇が、
schoolの学校となった。
「馬上・枕上・厠上」を三上(さんじょう)という。
「ばじょう・ちんじょう・しじょう」と読む。
欧陽脩(おうようしゅう)は、
その著書「帰田録(きでんろく)」の序文にある。
「余、平生作る所の文章、
多くは三上に在り」
文章を考えるのに、
最も都合がよい三つの場面が、
馬の上に乗っているとき、
枕の上で寝ているとき、
便所に入っているとき。
これも部分的に「暇」に通じるだろう。
博学の今東光先生はたぶん、
これらのことを、
よく知っていたのだと思うが、
人生は「冥土までの暇つぶし」だといった。
つまりは死ぬまで学ぶこと。
「暇つぶし」のようにして考えること。
しかし、「上等」の「暇つぶし」を、
しなければいかん。
「上等の」が難しい。
今回のアメリカの旅の中で、
とくにEATALYは、
そんな意味を持つ店だった。
創業者オスカー・ファリネッティは言う。
「市場であり、食堂であり、
学校であるような場所」
だから食べる(EAT)、買う(SHOP)、
そして学ぶ(LEARN)。
EATALYの店内外に、
言葉が掲げられている。
「eat better, live better」
よりよく食べることは、
よりよく生きることだ。
だからよりよく食べることは、
上等な暇つぶしに違いない。
万代知識商人大学も、
企業経営の生産性の観点からすると、
「暇つぶし」に見えるかもしれない。
立教大学大学院だって、
商人舎ミドルマネジメント研修会だって、
「暇つぶし」のように映るかもしれない。
しかし、たとえそれが、
「暇つぶし」と言われようとも、
今東光の言う、極めて「上等」な、
「暇つぶし」になっていると思う。
少(わか)くして学べば
壮にして為すあり。
壮にして学べば
老いて衰えず。
老いて学べば
死して朽ちず。
(佐藤一斎「言志四録・三学戒」)
ピーター・ドラッカー先生は言う。
「成果をあげるには、
自由に使える時間を
大きくまとめる必要がある」
「時間の使い方を知っている者は、
考えることによって成果を上げる。
行動する前に考える。
繰り返し起こる問題の処理について、
体系的かつ徹底的に
考えることに時間を使う」
これも今東光の「上等な暇つぶし」である。
〈結城義晴〉