2018年「一の丑」の一日の「この今の愛おしさ」
2018年の土用丑の日。
今日7月20日が一の丑。
8月1日が今年の二の丑。
一の丑、二の丑と、
1年に2回、夏の丑の日があると、
ちょっと得した気分。
商売にとっても、
確かにありがたい。
来年は、7月27日だけとなるし、
一昨年の2016年は7月30日だった。
その今日の一の丑。
私が住む横浜の東横線妙蓮寺駅。
その駅前には、Fit Care Expressがある。
㈱カメガヤの発祥の店。
リニューアルされて、
Fit Care DEPOTの小型店になった。
駅前の商店街に、
kitchen ORIGIN。
店頭に幟(のぼり)。
紺の布地に白抜き文字。
自動ドアのポスター。
そして中国産「うな重908円」と、
「鹿児島県産うな重1945円」。
どちらも本体価格だ。
小さな道を隔てて、
セブン-イレブン。
こちらは白布地に墨文字の幟。
神奈川県の大繁盛店として名高い。
入り口を入って突き当りに弁当売場。
トップボードに「うなぎ」。
最下段と2段目にうなぎ蒲焼重。
税込み1880円。
セブン‐イレブンから歩いて1分。
イオンのまいばすけっと。
ドアのところにデジタルサイネージ。
結構流行っている。
セブン-イレブンより安いのが、
主婦やサラリーマンを中心に、
幅広い客層から支持されている。
最下段にうな丼748円。
うな牛丼555円と並べて、
高騰するウナギの価格を抑える。
駅前の小型店による小さな競争。
価格の高い順に本体価格を並べると、
オリジンの鹿児島県産うな重1945円。
セブン-イレブンのうなぎ蒲焼重1741円。
オリジンの中国産うな重908円、
まいばすけっとのうな丼748円、
ついでにうな牛丼555円。
税込み価格にすると、
オリジン鹿児島県産うな重が2100円。
セブン-イレブンが1880円、
オリジン中国産が980円。
マイバスケットうな丼が807円、
うな牛丼が599円。
結構、棲み分けができている。
さて私は13日間の米国出張のあとの休暇。
時差ぼけを治すにはこれが一番いい。
多摩カントリークラブ。
初代理事長・曽谷正之氏の像。
テレビではどのチャンネルでも、
「運動は控えましょう」と訴える。
だから今日は多摩カンも人が少ない。
しかし新名人会。
自分たちの責任において、
ゴルフラウンド。
風もあって、
緑の中を歩くのは意外に快適。
そして何より、自分が打った球を、
自分の責任でホールアウトする。
この責任感が暑さを吹き飛ばす。
17番パー5。
最後の18番パー4にやって来ても、
みんな元気にGo! Go! ポーズ。
ちょっとよろけたが、
真ん中の土井弘さんが、
ホームコースを84でラウンド。
私も88のスコアで満足。
新加入の新谷千里さんも、
いいゴルフだった。
これで時差ぼけを完全治癒して、
来週から万全の態勢。
夕方からは六角橋の知味軒。
白幡小学校文化スポーツ事業の暑気払い。
現校長の鈴木秀一さんが参加。
今日が終業式だった。
前校長の関谷道代さんは今、
横浜市教育委員会に移っていて、
途中から駆けつけてくれて盛り上がった。
豊田市の小学校の事件が話題になった。
17日に、1年生の男子児童(6歳)が、
重い熱中症の熱射病で死亡した。
午前10時ごろ、1年生4クラスの112人が、
生活科の校外学習に出発。
このときの気温は32.9度。
児童全員が水筒を持参し、
1キロ先の公園に約20分かけて歩いた。
公園で虫取りなどをして遊んだあと、
午前11時半ごろ学校に戻った。
20分後、男子児童が教室で意識を失い、
救急搬送先の病院で死亡が確認された。
鈴木校長は暑い暑い今週、
屋外活動を全面的に控えたそうだが、
現時点ではそれも妥当だろう。
しかし、私は思う。
体力も知力も精神力も、
一人ひとり異なる。
だから一人ひとりを丹念に観察する。
教育や訓練、マネジメントはすべからく、
一人ひとり違わなければいけない。
全体として危険なことを控え過ぎると、
逆に逞しい子どもは育たない。
大切な命が奪われてしまうことは、
断じて避けなければならないが。
最後は「十締め」。
ゆっくりと、
シャンシャンシャン、
シャンシャンシャン、
シャンシャンシャン、
そして、もっともゆっくりと、
シャン。
3回のシャンを3回で九締め。
最後の1回のシャンで、
「九」に点がついて「丸」となる。
これで丸く納まる。
十の締めの「十締め」。
「とおじめ」という。
朝日新聞「折々のことば」
昨日の言葉は、与謝野晶子の歌。
いづくへか
帰る日近き
ここちして
この世のものの
なつかしきころ
「未知の場所へ赴くのか
未生の場所へと戻るのか
知るよしもないが、
自分もまもなくこの世を後にし
何処(いずこ)かへ帰る日から
時を逆流させて今を思うと、
この今が愛(いと)おしく、
懐かしささえ感じる」
編著者の鷲田清一さん。
「人は自らの死を朧(おぼろ)に意識しだすと
普段は目もくれない身のまわりの物にふと
慈しむかのようなまなざしを
注ぐようになる」
「この今」を「愛おしく」、
感じることができるまで、
子どもたちは生きなければならない。
大人たちは一人ひとりを、
丹念に見つめていなければいけない。
〈結城義晴〉