ドラッカーから谷川俊太郎までの「いま、生きる」
三が日は年賀状でご挨拶。
今年の標語、
「リスクを冒せ。」
昨日の元旦のブログで、
ピーター・ドラッカーを引用した。
同じ『マネジメント』第10章の中で、
ドラッカーは未来を語る。
翻訳の上田惇生先生は、
言葉を大切にする俳人でもあって、
ドラッカーの原文は美しく訳される。
「未来は、
望めばその通りに起こるわけではない。
未来を築くには、
いま決定を行わねばならない。
いまリスクを負わなければならない。
いま行動しなければならない。
いま資源を割り当てねばならない。
特に人材を割り当てねばならない。
いま仕事をしなければならない。」
明日、目的を達成するためには、
今日、何をしなければならないか。
それを考え、行動する。
そしてその考察の真ん中に今年は、
「リスクを冒せ。」がある。
ドラッカー。
「明日を実現するための第一歩が、
昨日を廃棄することである」
この言葉に倣って、
毎日更新宣言ブログは、
12月31日に終了し、
元旦に更新宣言することにしている。
今年の宣言で12回目となった。
1年のご愛読をお願いしたい。
さて暖かい快晴の横浜。
今年の気分はことさらに爽快だ。
昨年、やるべきことはやった。
もちろんまだまだ、
やるべきことはある。
それは今年、やればいい。
山陽新聞巻頭コラム「滴一滴」
1月1日の冒頭で詩を引用。
詩人の新川和江さんの作品。
元旦
どこかで
あたらしい山がむっくり
起きあがったような・・・
どこかで
あたらしい川がひとすじ
流れ出したような・・・
どこかで
あたらしい窓がひらかれ
千羽の鳩が放たれたような・・・
どこかで
あたらしい愛がわたしに向かって
歩きはじめたような・・・
どこかで
あたらしい歌がうたわれようとして
世界のくちびるから
「あ」ともれかかったような・・・
コラムニスト。
「新年を迎えた。
きょう元日は、大みそかとは
1日違うだけなのに異なる趣がある。
新しい何かが始まる予感と期待」
静岡新聞の「大自在」は松尾芭蕉の句。
門松やおもへば一夜三十年
「大みそかの騒がしさが明け、
一夜で30年の歳月が流れたような静寂。
気持ちを新たにすれば、
これまでの人生は一夜の夢のようだ」
高濱虚子の句。
去年今年貫く棒の如きもの
昨年も今年も貫かれている、
棒のごときものがある。
大晦日と元旦。
1日しか違わないけれど、
30年も時が流れたような静寂がある。
1日が平成の30年間のような
それでいて、去年、今年を、
貫くようなものがある。
したがって、
いらなくなった昨日のものを捨て、
明日のために必要な昨日のものを残す。
拙著『お客様のためにいちばん大切なもの』から。
「生産的でなくなった、
過去のものを捨てる。
何が残るか。
生産的な過去のもの。
それが『文化』です。
明日につながる昨日のもの。
それが『文化』です」
私はそれを組織文化と考える。
そして組織文化を大切にすることは、
経営を合理化することと矛盾しない。
最後に東京新聞「筆洗」が、
谷川俊太郎の「生きる」に触れた。
2連目と3連目を引用しよう。
生きる
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎていくこと――
谷川俊太郎、87歳。
現役の詩人です。
私もそのように、
率直に純粋に、
「いま」を生きたい。
〈結城義晴〉