嵐の解散/夏目漱石の転職と協同組合ジェプラでの記念講演
朝刊は「嵐」に関するコラムばかり。
朝日新聞は一面記事で取り上げた。
その中で「産経抄」。
新聞そのものの主張とは相いれないが、
コラムには時々、いいものがある。
作家の故水上勉。
「9歳のときに京都の寺に預けられた。
やがて寺を飛び出し42歳で、
直木賞を受賞して流行作家になるまで、
職を転々とする」
エッセーに書く。
「天職はもっと…人によろこばれ、
自分もよろこびを見出すことも出来、
そうして、そのなすところのことが
人のためになっている」ものだ。
コラムニスト。
「”アイドル”という職業は、
十分天職の条件を満たしている」
嵐のことだ。
活動休止まで約2年の猶予を設けた。
メンバーの桜井翔の発言。
「時間をかけて、
ファンや関係者、スポンサーに、
感謝の気持ちを伝えていきたい」
アイドルとしての配慮とプライド。
再来年以降、4人がソロ活動をする。
リーダーの大野智は、
芸能界から一旦距離を置く。
夏目漱石も40歳のとき、
東京帝大の教授の座を目前にしながら、
創作に専念するため朝日新聞に転職。
「休(や)めた翌日から急に
脊中(せなか)が軽くなって、
肺臓に未曾有の多量な空気が這入って来た」
大野智もそんな気分だろう。
私は54歳の時に、
30年働いた㈱商業界を辞した。
ずいぶん遅かったとは思うが、
背中が軽くなって、肺臓に、
未曾有の多量な空気が入った気がした。
不安もあったけれど。
さて、今日は朝9時から、
東京・小平。
第一屋製パン㈱の取締役会。
前川智徳前社長が、
昨年末をもって、社長を退任。
3月の株主総会で会社を辞する。
新たに細貝正統社長が登板。
期待しよう。
その後、一度、
横浜商人舎オフィスに戻る。
さらに午後には東京プリンスホテルへ。
久しぶりに訪れたら、改装していた。
協同組合ジェプラ新春懇親会。
ジェプラは包装資材協同組合。
1981年に創設され、
初代理事長は大木賢次氏。
二代目理事長は川和弘行氏で、
現在は三代目の大木勝志理事長。
第一部は新春講演会。
初めにその大木理事長の挨拶。
挨拶の冒頭で、
私の1月元旦のブログから、
文章を引用してくださった。
「日本社会は大きく変容していく。
消費も商売も、商品も売場も店も
大きく変質する。
想像を絶するスピードで変革されていく。
背景に世界的ポピュリズムの進行もある。
時代が大きく変わるときに、
仕事にも経営にも求められるものがある。
それはリスクを恐れないことだ。
リスクを冒すことである」
聞いていて、不思議に納得した。
理事長のスピーチの後は、
百瀬恵夫先生の恒例の新春講演。
百瀬先生は明治大学名誉教授・経済学博士。
次いで結城義晴の記念講演。
テーマは、
「食が変わり流通が変わる」
包装資材業界の変容を背景に、
食品産業と流通産業の変化の方向性を、
90分にわたって多角的に語った。
講演会の後は、
会場を2階の鳳凰の間に移して、
新春懇親会。
開会の挨拶は、
㈱ジェプラ社長の渡邉琢也さん。
メーカー代表の祝辞は井上雄次さん。
福助工業(株)専務。
そして乾杯。
百瀬先生の隣の席で、
沖縄の泡盛古酒15年物などいただいて、
私も大いに懇親した。
中締めは川和利行さん。
㈱川和代表取締役社長。
協同組合ジェプラ副理事長。
万歳三唱で締めた。
大木理事長は商業界同友会で、
山梨県の重鎮でもある。
最後に握手。
夜の東京タワーは美しかった。
日本の流通産業も食品産業も、
包装資材の業界も、
そして2019年の日本社会自体も、
背中を軽くして、
肺臓に未曾有の多量な空気を、
吸い込む時である、と思った。
〈結城義晴〉
2 件のコメント
いつもありがとうございます。
水上勉の思い出を書きます。
昭和50年私が龍谷大学に入学した最初の学園祭の講演の講師が水上勉でした。
彼には脳性小児麻痺の娘がいましたが脚の感覚が無く、歩行ができませんでした。
彼は言います。
「毎朝娘が養護学校に通学する前に、娘の脚の感覚が回復しているかを調べる為に、娘の靴に小さな小石をしのばせます。」
ある日「娘が痛い。」と叫びました。娘の脚に感覚が少し戻ったのです。
水上は当時マスコミで少しずつ取り上げられていた、水俣病で有機水銀中毒におかされた子供とわが娘を、重ねて、講演を聴講する学生(僧籍を持つ者も数多くいた)に呼びかけます。
「貴方たちは、水俣病に対してなぜ抗議の声を上げないのか? 毎朝娘の靴に小石を入れる親の気持ちを考えてください。」
その講演が以降の私の人生に大きな影響を与えました。
いまちゃん、
ご投稿ありがとうございます。
いい話ですね。
水上勉は、
私の大学時代の女性の友人が好きな作家でした。
いまちゃんにとって、
重要な発言をしてくれた作家なのですね。