アリストテレスの「再現」と小田和正のピーター・ポール&マリー
アリストテレスは、
古代ギリシャの哲学者。
紀元前384年から322年の人。
三木清は日本の哲学者。
1897年に生を受けて、1945年に没している。
京都大学哲学科で、
西田幾多郎の「善の研究」に感激して、
西田に師事した。
アリストテレスやソクラテスの本も書いた。
そのアリストテレスの『詩学』
「再現することは、
子供のころから
人間にそなわった、
自然な傾向である」
「しかも人間は、
最も再現を好み、再現によって、
最初にものを学ぶという点で、
他の動物と異なる」
この「再現」は「模倣」とも訳される。
人間は真似るものだ。
それがアリストテレスの著書『詩学』を貫く、
基本テーマである。
「再現、模倣」は、
ギリシャ語で「メミーシス」という。
アリストテレスは続ける。
「動物や人間の死体の形状のように、
その実物を見るのは苦痛であって、
それらをきわめて正確に描いた絵であれば、
これを見るのを喜ぶ」
なぜ、人間はそれを喜ぶのか。
「学ぶことが、
哲学者にとってのみならず、
他の人々にとっても同じように、
最大のたのしみであるということにある」
バンドを始めるとき、
まずやるのが「コピー」だ。
小田和正は、
アマチュアのオフコース時代に、
ピーター・ポール&マリーのコピーを、
実に見事に演奏し、歌唱した。
それでヤマハミュージックコンテストで、
いきなり2位になった。
1位は後藤悦治郎率いる赤い鳥だった。
旧姓・新居潤子の山本潤子がいた。
小田和正は実は、
私の中学高校の5年先輩だ。
私たちは「小田さん」と呼ぶ。
母校に戻って、
演奏したオフコースに感銘を受けて、
私たちもまず、
ピーターとポールとマリーをやった。
模倣の模倣だ。
大学のときにはビートルズをやった。
「Something」のコピーから始めた。
それはそれ自体、実に楽しかった。
「コピー」は技術を学ぶ際には、
本当に楽しいことだ。
しかしだんだんコピーだけでは、
つまらなくなる。
そこでオリジナルをつくり始めた。
文章も詩も、コピーから入る。
学問も先行研究を学ぶところから始まる。
つまりは本を読む。
それに終始して終わる場合もある。
なぜならそれはそれで楽しいからだ。
仕事も再現から始まる。
模倣からスタートする。
それも楽しい。
しかしやがて、
「模倣」を凌ぐ仕事を成し遂げる。
好きな作家の再現をしたい。
好きな音楽家の模倣をしたい。
尊敬する上司の真似をしたい。
そしてその繰り返しは楽しい。
「私たちは再現を反復しながら生きている」
これは俳人の坪内稔典さんの言葉。
アリストテレスは『詩学』で続ける。
「詩人(作者)の仕事は、
すでに起こったことを語ることではなく、
起こりうることを、すなわち、
ありそうな仕方で、あるいは、
必然的な仕方で起こる可能性のあることを、
語ることである」
「歴史家は、
すでに起こったことを
語り、
詩人は、
起こる可能性のあることを
語る」
しかし再現をすればすなわち、
「起こる可能性」になるかというと、
これが全く違っている。
例えば、米国で起こっていることを語る。
これは「浅はかな歴史家」に過ぎない。
そしてそれ自体は楽しいから困る。
もちろんアーノルド・トインビーをはじめ、
本物の歴史家は、
透徹した目で未来を見通す。
その意味では、
アリストテレスのいう「詩人」でもある。
ただしアメリカで起こった事実が、
日本でも起こると短絡的に判断する者は、
間違いを起こす。
アメリカで起こっていることの中で、
必然的に起こる可能性のあることを、
熟考を重ねて、再現する。
これは結構、時間と手間がいるし、
苦しいことでもある。
あるいは米国や欧州で起こったことを、
体験し続け、見続けていれば、
日本で今、起こりつつあることにも、
合点がいく。
ピーター・ドラッカーは、
「モニタリングせよ」と説く。
つまり、観察し続けよ。
そうすれば、
「すでに起こった未来」がわかる。
アリストテレスは、
「必然的に起こる可能性のあること」。
ドラッカーは、
「すでに起こった未来」。
アリストテレスは紀元前4世紀の人だ。
ソクラテス、プラトンと続いた、
ギリシャ哲学のメミーシスから入った。
三木清も、
西田幾多郎の再現から始めた。
小田和正はピーター・ポール&マリーを、
吉田拓郎はボブ・ディランを、
真似た。
誰にも「模倣」する師匠が必須だ。
その道の師匠を持たない者はいない。
さて結城義晴は、
倉本長治の再現から入った。
渥美俊一の模倣をした。
上野光平の真似をした。
杉山昭次郎の考えに影響を受けた。
荒井伸也のメミーシスをした。
そしてそれらを、
ある部分では継承し続け、
ある部分では「純粋批判」している。
坪内稔典の初夏の一句。
古代ギリシャの午後もだった緑さす
「この夏、緑さす窓辺でわたしは、
岩波文庫の『詩学』を読んだ」
と、坪内は語って、句をつくった。
梅雨が明けると本格的な夏です。
〈結城義晴〉