サミット「総菜総選挙」とフジ「デリカグランプリ」の模倣と創造
昨日の7月29日、
関東地方が梅雨明け。
残るは東北だけとなった。
商人舎流通スーパーニュース。
今日と昨日。
今日のサミットnews|
「2019総菜総選挙」1位はメンチッチ新選組・メンチ特売実施
昨日のフジnews|
顧客投票4万4443票で選ばれた夏の「デリカグランプリ」決定
サミットは、
2016年6月27日、
竹野浩樹社長が就任してから、
翌2017年6月下旬に、
第1回「総菜総選挙」を開催して、
大成功を収めた。
そして今年、7月3日から7日まで、
二度目の「2019総菜総選挙」を開催。
総菜部門4カテゴリーに、
鮮魚・精肉部門も店内加工総菜で挑戦。
5日間で投票総数2万2333票。
結果は「メンチかつ」の勝利。
公約どおり、
明日の7月31日(水)から8月4日(日)まで、
8種類のメンチかつが特売される。
一方、四国のフジ。
こちらは「デリカグランプリ」。
期間は7月4日(木)から7月15日(月)の12日間。
投票総数は4万4443票。
今回の企画は「夏の人気対決」と題して、
4つのカテゴリーでの比較投票。
昨年11月に第1回を開催したが、
その投票数を大きく上回った。
もちろんこちらは、
サミットの模倣。
フジはそれを意識しつつ、
オマージュを込めて実施したのだろう。
それでも地域が異なるから、
混乱を来たすことはない。
四国のフジの顧客には、
面白い企画と映っただろう。
4万4443の票がそれを示している。
漫才の世界にも実は、
同じようなことがあった。
M-1 グランプリとTHE MANZAI。
前者はテレビ朝日系の漫才コンクール。
吉本興業主催。
今、大変なことになっている。
2001年から2010年まで展開され、
2015年にも開催された。
THE MANZAIはフジテレビ系で、
やはり吉本興業主催。
2011年から2014年まで。
時期は重ならなかったし、
どちらも吉本が主催して、
一世を風靡した。
大﨑洋会長や岡本昭彦社長が活躍した。
ではサミットの「総菜総選挙」と、
フジの「デリカグランプリ」はどうか。
サミットは総選挙を、
スポーツ新聞仕立ての「サミスポ」で広報。
芸が細かいし、
顧客を楽しませ、自分たちも楽しむ。
結城義晴著「Message」より。
「模倣と創造」
1
あなたには何か、成功体験がありますか。そのサクセスストーリーを思い浮かべることができますか。そして次の瞬間、それをすべて捨て去ることはできますか。
しかしなぜ、過去の成功体験を捨てなければならないのか。時代が変わり、環境が変化したことに対応しなければならないからか。あるいはそれが経験法則の列に加えられるべき成功体験ではなかったからか。
2
「ベストプラクティス」とは、最良の実践成功例を意味します。だからベストプラクティスは常に、必ず、その手法を、さまざまな他者から学びとられてしまいます。
学ぶ側は、最良の実例と同じ手順を踏むことで、同じような結果を享受することができます。
このノウハウの学習と蓄積によって、時間短縮と経費削減の成果が生まれます。
しかし、成果獲得の結果主義に頼りきってしまうと、今度は停滞と後退が訪れます。突き詰めればそれは、模倣だからです。
模倣には、失敗の経験がありません。創造の苦しみもありません。百を目指している限り、決して千にも一万にもならないのです。
3
それでは私たちはなぜ、歴史が好きなのでしょう。
なぜ歴史を学ぶのでしょう。
そこには経験的法則と進化の奇跡が存在するからです。
4
そうです。
まず、現状を否定してかかる。現状を肯定的に支えている成功要素を拒否してみる。同時に、身近な事例の歴史に学び、小さな経験法則を探る。
すべては現状を客観化するために、過剰に現実を評価するところから始まる。そのうえで、模倣によって、スピードアップとコストダウンの改善を果たす。創造によって、市場の拡大と技術の革新を図る。
5
模倣と創造。
イミテーションとクリエーション。
経営のスピードと運営のコスト。
成功体験と経験法則。
6
進化とは、階段をひとつ登っては、しばらく停滞することの繰り返しによって、成し遂げられるものです。
そのために私たちは、模倣を過度に恥じることはないし、創造だけをことさらに尊ぶこともないのです――。
中日新聞と東京新聞の巻頭コラム。
「中日春秋」と「筆洗」。
東京新聞が中日新聞の傘下にあるから、
同じコラムを使うこと多し。
これは模倣ではなく、相乗り。
先週金曜日の7月26日版。
イソップの寓話。
「新たなロバを買い求めた男が
売り物の一匹をためしに連れ帰った」
「牧場に放すと、
さっそく飼っている中で、
一番の怠け者に寄っていく。
男はすぐに売り主に返した」
「なぜそんなに早く
善しあしを見抜けたか」
問われて、答える。
「選んだ仲間を見て」
「人を見るには、仲間を見よ」
日本のことわざでは「類は友を呼ぶ」
しかし模倣する者を、
仲間と見るのかどうか。
模倣の中に、
どれだけ創造を組み込めるのか。
短歌の世界には「本歌取り」があるし、
造園の領域には「借景」がある。
天才モーツァルトも、
ハイドンの「レクイエム」を模倣した。
そのモーツアルトも、
サリエリにメロディーを盗まれた。
模倣するものが、
模倣されるものを超えたならば、
仲間と見なされるのだろうか。
〈結城義晴〉