True Data役員会とジュニアソフトボールの「体と頭のスピード」
今日は朝から芝大神宮。
別に参拝するわけではない。
㈱True Dataヘ行く途中に神社がある。
写真だけ撮って通り過ぎる。
申し訳ないことをしている。
そのTrue Dataの取締役会。
どんな会社にも紆余曲折がある。
それを乗り越えて、
社会に貢献できる存在となっていく。
ピーター・ドラッカーは、
「事業の定義」を、
三つ挙げる。
第1に、組織を取り巻く環境である。
第2に、その組織特有の使命である。
そして第3に、
使命を達成する「強み」である。
True Dataという会社にとって、
第1の「環境」は極めて良好に整っている。
第2の「使命」、すなわち目的も、
ユニークで強固なものがある。
ただしベンチャーなので、
改めてそれを組織全体で、
確認しつつ再構築しなければならない。
そんな時期に来ている。
第3の、目的を達成する「強み」は、ある。
しかしこれに関しては際限がない。
もっともっと、さらにさらに、
「強み」は充実されなければならない。
その一つが「スピード」だ。
仕事のスピードを上げること。
しかしビッグデータマーケティングは、
気の遠くなるほどの膨大なデータを、
回し続けねばならない。
どんなにコンピュータが進化しようとも、
時間はかかる。
この時間を節約して、
間に合わせる会社もあるが、
その場合には、
最も重要な「目的」の達成度が希釈される。
「強み」は、
「目的」を達成させるためにあるのだ。
気をつけねばならない。
いつものように、
ランチミーティングをして、
横浜商人舎オフィスに戻る。
そして30分だけ近くの整骨院へ。
背中が痛むので、治療。
夕方まで仕事して、
ふたたび東京・品川へ。
日本に人口過疎地があるとは、
とても信じられないような人の動き。
その人込みをかき分けて東口に出る。
振り向くとアトレ2階に、
FOOD&TIME ISETAN。
現在の社名は㈱エムアイフードスタイル。
クイーンズ伊勢丹から、
三越伊勢丹フードサービスへ、
そしてエムアイフードスタイルへ。
どんどん、
わかりにくい社名になっていく。
東口を抜けるとビル群。
駅前広場。
左手にアレア品川。
正式名称はNTTデータ品川ビル。
その1階に居酒屋。
稲田屋。
今日はここで飲み会。
そのなかに小泉直樹君がいて、
驚かされた。
現在、㈱シジシージャパン人事総務部。
その人事総務チーム係長。
35歳になったそうだ。
横浜市白幡小学校に「竹の子」という、
ジュニアソフトボールチームがある。
小泉君が10歳の時、
このチームに入ってきた。
だから25年前のことだ。
私が監督をしていた。
小泉少年は底抜けに明るくて、
運動神経のいい選手だった。
すぐに内野手として頭角を現し、
サードやショートを守った。
しかしひそかにピッチングの練習をして、
ウィンドミル投法をマスターした。
6年生のときには、
ショートとピッチャー、
そして主力打者として、
チームに貢献した。
横浜市のグリーンカップでは、
確か準優勝したと思う。
同年に大谷智久がいた。
その智久がエースの荏田ブランチーズに、
決勝戦で負けた。
大谷は神奈川県でも抜群の選手だったが、
その後、中学に入ってから、
引っ越して、兵庫県へ移った。
報徳高校に進んでセンバツ優勝投手、
早稲田大学では大学日本一投手、
社会人野球ではトヨタ自動車で、
都市対抗野球大会の全国優勝を果たし、
千葉ロッテマリーンズに指名された。
今でもプロ野球の現役投手だ。
私は小泉君が入ってくる2年前から、
竹の子の監督となっていた。
月刊食品商業編集長の仕事と両立させつつ
土日祭日はほとんど休みなしで、
子どもたちを指導し、試合を闘った。
40代は編集長と監督の二足の草鞋。
7年目には港北区の代表チームを率いて、
横浜オールスター大会で優勝した。
しかし㈱商業界の専務取締役となって、
監督から退いた。
そんなことが、
走馬灯のように蘇ってきた。
私の体力はあのころ、
養われた。
グランドで大声を出していたので、
講演のときにも声が出る。
監督としての私の口癖は、
「声、出せー!!」
コミュニケーションを最重視した。
そして子どもたちに、
「スピード」を求めた。
走るスピード、投げるスピード、
スウィングのスピード。
「動作のスピード」、
「体のスピード」。
それから「判断のスピード」。
つまり一瞬でものを決めるスピード。
「頭のスピード」。
さらに三つの「力」を強調した。
体の力、
頭の力、
心の力。
理解できる子、できない子、
理解できる親、できない親。
さまざまだったが、
少しずつそれが浸透し、理解され、
「チームカラー」となっていった。
「竹の子はいいチームですね」
ほかのチームの人々からも、
そう言われた。
横浜市の金沢区や保土ヶ谷区など、
対戦したチームの監督も、
そう言ってくれた。
どんなことにも、
真剣に取り組むと、
無駄になることはない。
子どもたちを指導した時の考え方は今、
私の経営理論の一角を担っている。
人生は不思議なものだ。
回り道はない。
今、講義のときなども、
そんなことを言ったりする。
ありがとう。
小泉君。
〈結城義晴〉
2 件のコメント
智久ネタありがとうございます。
23年前のグリーンカップは、うちは初戦に樽と同点抽選負けでしたよ。グリーンカップでの竹の子さんとの決勝戦は、4年後の平成12年です。あかりのときですね。
お邪魔しました
北谷さん、ありがとうございます。ご無沙汰しています。グリーンカップの件、うろ覚えで申し訳ありません。しかし、智久も頑張りますね。年俸も推定8400万だとか。すごいですね。うれしいですね。