ベルリンの壁崩壊30年と「三方一両損」の壁解決法
ベルリンの壁が崩壊してから、
今日でちょうど30年。
第二次世界大戦のあと、
敗戦国のドイツは、
国土が東西に分断された。
東ドイツが共産主義、
西ドイツが資本主義。
国土だけでなく、
東ドイツ側に位置した首都ベルリンも、
公平の原則からか東西に分断された。
終戦後は、分断されていても、
ベルリンの東西往来は自由であった。
しかし1961年8月13日、突如、
東西ベルリン間の通行を遮断するため、
西ベルリンの周囲に有刺鉄線が張られ、
そののちコンクリートの壁がつくられた。
ベルリン市内の境界線を経由して、
東から西への人口流出が相次いだからだ。
東ドイツは深刻な人口減少に陥り、
自国の体制を守るために壁を設けた。
これが「ベルリンの壁」である。
しかし、28年後の1989年秋、
東欧革命が起こって、
ヨーロッパの共産主義は破綻した。
同年11月9日、壁の国境検問所が、
なし崩し的に機能を喪失して、
やがて壁そのものが撤去された。
これが「ベルリンの壁」の崩壊である。
それから30年。
新聞各紙が巻頭コラムで取り上げた。
そのなかの中日新聞「中日春秋」。
科学者ニュートンか、別の偉人か。
有名な警句。
「人間は壁を造りすぎるが、
橋は十分に造らない」
分断するのは易しく、
協調するのは難しい。
壁は生まれやすいが、
壁は壊しにくい。
私も先月の月刊商人舎10月号で、
「4つの壁」のことを書いた。
私の記事は、
「データドリブン経営」入門
「データドリブン経営」は、
データを原動力としたマネジメント、
あるいはデータが主導する経営。
そこに立ちはだかる4つの壁。
第1にデータの壁、
第2にリソース(経営資源)の壁、
第3に組織の壁、
そして第4にマインドの壁。
読んでいただきたいが、
もう雑誌は品切れ。
月刊商人舎の年間購読者になれば、
Web版で読むこともできるし、
コピーすることもできる。
12月のDREAMの記念講演では、
この話もする。
さて戦後最大のイデオロギーの壁、
人類の歴史に残る壁は、
30年前に壊された。
しかし今、地域紛争、テロや大量の難民。
人種、宗教、民族、経済などなど、
目に見えない壁が生まれている。
そしてドナルド・トランプ。
多くの複雑な壁を外してゆくのが役目の、
アメリカ合衆国大統領。
数年前に「ニュートンの警句」、
ツイッターでつぶやいた。
しかしその警告を逆読みして、
「だから壁を造るのだ」と考えた。
バカヤローだ。
アメリカ南部のビッグ・ウォール。
コラムニスト。
「三十年を経ても、
世界に壁は多く、
橋は足りない」
同感だ。
日経新聞は3日間の連載。
タイトルは「ベルリンの壁 崩壊30年」
「30年前に崩れたアイアンカーテンの次は
“バンブーカーテン”とも言われ始めた。
日本を含め世界はそれを
どう乗り越えるのか。
一段上の知恵がまた
試されようとしている」
アイアンカーテンは鉄のカーテン。
米ソ対立を中核とした東西冷戦のことだ。
バンブーカーテンは竹のカーテン。
もちろん中国の壁だ。
悩ましい。
中央政府と地方自治体の間にも、
いくつもの巨大産業のなかにも、
それぞれの会社のなかにも、
チェーンストアの本部と店舗の間にも、
店舗運営部と商品部の間にも、
壁は存在する。
組織はサイロ化する。
悩ましい。
この壁を克服する道がある。
大岡政談の「三方一両損」である。
江戸の町奉行・大岡越前のもとに、
事件が持ち込まれる。
三両の金を拾った者と、
その金を落とした者。
どちらも、
「そんな金はいらねー」と言い張る。
江戸っ子気質だ。
そこで大岡越前は、
懐から自分の一両を出して、
四両の金にする。
そして四両を二両ずつ、
落とした者と拾った者に、
分け与える。
落とした者は三両損するところ、
二両で済んだから一両の損、
拾った者は三両もらえるところ、
二両に減ったから一両の損。
「奉行も一両の損」。
これで両者、納得。
これが「三方一両損」の物語。
世界の町奉行はこれまで、
アメリカ合衆国だった。
「奉行も一両の損」を甘んじて受けた。
現在のバカヤローは、
「一両の得」ばかりか、
三両を全部、奪おうとする。
現代は、日本も中国も、
一両損の覚悟が必要だ。
産業の壁も、会社の壁も、
組織の壁もチェーンストアの壁も、
「三方一両損」でなければ、
それを崩すことも、
壊すこともできない。
〈結城義晴〉