「和食の日」/フレディ・マーキュリーの命日/「進化の日」の生存条件
今日は「和食の日」であり、
フレディ・マーキュリーの命日。
そして「進化の日」でもある。
和食の日は、
一般社団法人和食文化国民会議が制定。
「日本人の伝統的な食文化について見直し、
和食文化の保護・継承の
大切さについて考える日」
クイーンのボーカリストは、
1991年11月24日に早世した。
エイズによる免疫不全が死因。
45歳だった。
映画『ボヘミアンラプソディー』が、
何度目かのクイーンブームをもたらした。
今日は一日中、WOWWOWが、
クイーンの映画を流し続けた。
そして「進化の日」は、
英語で“Evolution Day”
160年前の1859年11月24日。
チャールズ・ダーウィンが、
あの『種の起源』の初版を刊行した日。
“Darwin Day”というのもあって、
こちらは2月12日。
ダーウィンの誕生日。
朝日新聞の「天声人語」。
「進化の日」をテーマにし、
ネアンデルタール人のことを書く。
彼らの脳はヒトと同じくらいの容積で、
身体はもっと頑丈でたくましかった。
「ともに生きていた時代もあったが、
3万~4万年ほど前、
彼らは地球上から姿を消してしまった」
「どうして絶滅したのか」
専門家の間では諸説ある。
定説はない。
「強い者が弱者を力で倒すこの世界で、
勝ち残るのはむしろ
彼らのほうではなかったのか」
そこで静岡大学の稲垣栄洋(ひでひろ)教授。
「生命の歴史をみると、
生き残ったのは
強者ではなく、
変化に適応できる
弱者のほうでした」
近著は『生き物の死にざま』
「変化に適応できる弱者」
ここがとても教訓的だ。
ヒトは弱さゆえに集団性を強め、
その過程で仲間が何を考えているのかを
「想像する」という力を得た。
稲垣教授。
「想像は一人ひとりが異なります。
その多様性が、
生き残りのカギとなったのでは」
専門ではないけれど、賛成だ。
多様性こそが
サバイバルの鍵だ。
大きくても強くても、
賢くても、
画一性では
生き残ることができぬ。
「逆に言えば強い者は
その強さのために変化を望まず、
多様化しにくい」
皇帝ベッケンバウアー。
サッカーの元西ドイツ代表主将・監督。
選手と監督、両方でワールドカップ制覇。
「強い者が勝つのではない。
勝った者が強いのだ」
これはダーウィンの態度と同じだ。
進化論の最初の問いは、
「なぜ絶滅する種と生き残る種がいるのか」
そして結論は、
「環境に適応していた者だけが生き残る」
天声人語のコラムニスト。
「環境の変化に適応できない生き物は
いつかは淘汰されていく。
人類も例外ではない」
産業も企業も業態も例外ではない。
「その強くて弱き存在のあすを想像して、
しばし謙虚な気持ちとなる」
昨日同様に、
結城義晴著『Message』から。
ダーウィンとマクネアー
1
一九世紀の人、
チャールズ・ダーウィンは、
一八五九年出版の『種の起源』の中で、
こう言っている。
「進化は、生存競争の自然選択が起こす。
環境に最も順応した者が生き残り、
主を存続させ、そうでない者が死に絶える」
進化論者ダーウィンは、
こうも述べている。
「生存競争は、
最も近い種の間で、最も激しい。
同じ餌をめぐって闘うからだ。
ここでは、ごく小さな違い、
つまり普通よりも
ちょっと優れていることが、
生存のための決定的要素になる」
2
二〇世紀の人、
M・P・マクネアーは、
一九五七年の『小売りの輪』仮説で、
こんなことを主張している。
「新しい小売り形態は、
固有の方法による低い営業経費で、
低い価格を実現し、既存の小売業から
消費者の支持を奪っていく」
実務家であり学者であったマクネアーは、
こう続ける。
「既存勢力に
取って代わった新業態企業群は、
今度は新業態同士の競争に移っていく。
それは、店格の向上であり、
高サービスの競争である。
やがて高い経費構造が生まれ、
ここにまた、
さらに低経費の新業態が登場してくる」
3
さて、二一世紀の人は、
二〇五〇年頃、生物や商業の進化を、
どのように解き明かしているのだろう。
そして、そのときどんな種が絶滅し、
どんな業態が生き残っているのだろう。
こんなことを思い描いていると、
なぜか敬虔な気持ちになる。
生物界の生存原理は、
商業界の市場原理と
全く同一のものと考えてよい。
“原理”に徹することで、
「見えざる手」に導かれるごとく、
私たちは種を維持し、
業態を発展・展開させていく。
それでよいのだ。
力が湧き上ってくるというものだ。
〈結城義晴〉