似鳥昭雄さんの渋沢栄一賞受賞と「夢なかるべからず」
寒気団がやってきた横浜。
1月のニューヨーク並みの極寒。
それでも新田間川には、
春の気配がする。
少しずつすこしずつ、
昼が長くなっている。
横浜駅周辺のビルのネオンも、
暖かい色合いを見せる。
春はもうすぐ。
しかし新型コロナウィルス。
毎日新聞巻頭コラム。
「余禄」
俳人の日野草城(ひの・そうじょう)の句。
昭和初めに季語のない新興俳句を主導した。
月明や沖にかゝれるコレラ船(せん)
船内で感染者が出て沖止めされた船――
しかしこの句は「コレラ船」が夏の季語。
コラムニスト。
「昔はコレラによる船舶の沖止めが
ひんぱんにあったようだ」
今、横浜港大黒ふ頭沖の豪華クルーズ船。
乗員乗客数3711人、感染者は10人。
今日また10人増えて20人。
残りの乗客も潜伏期間の14日程度は、
船内の個室にとどまることになった。
もうクルーズどころではなかろう。
エコノミック症候群の方が心配だ。
しかし昨日もこのブログで書いた。
毒性が強い病原体は患者を死に追い込み、
だからウイルスの感染が広がりにくい。
反対に毒性が弱いと患者が死なないから、
体内でウイルスが増えて感染が広がる。
重症急性呼吸器症候群のSARSが前者、
新型肺炎や新型インフルエンザが後者だ。
とは言っても死者の数も増えている。
2002年11月から2003年7月のSARSは、
中国広東省や香港を中心に8096人が感染、
37カ国で774人が死亡した。
今回の新型コロナウィルスは、
現時点で感染者2万2820人、
死者はほとんど中国で565人。
SARSを超える危険性も出てきた。
油断はできない。
最悪を覚悟して、
最善を尽くす。
[極端気象]に対しても、
同じ姿勢で臨むしかないから、
令和という時代は、
そんな時代なのかもしれない。
ああ。
さて商人舎流通スーパーニュース。
ニトリnews|
似鳥昭雄会長が第18回「渋沢栄一賞」を受賞
似鳥昭雄さん。
第18回渋沢栄一賞を受賞。
おめでとうございます。
もちろん似鳥さんは、
㈱ニトリホールディングス会長。
渋沢栄一は、
「日本資本主義の父」と称され、
近代日本の礎を築いた人物。
天保11年(1840年)~昭和6年(1931年)。
現在の埼玉県深谷市生まれ。
生家は豪農だったが、
江戸末期の動乱のなかで、
尊王攘夷の志士となり、
やがて一橋慶喜の家臣に取り立てられる。
その間、パリ万国博覧会を訪れたりするが、
大政奉還のあと、大蔵官僚として、
井上馨らのもとで活躍。
しかし大久保利通や大隈重信と対立し、
退官し、実業の道へ。
第一国立銀行(現・みずほ銀行)頭取を初め、
理化学研究所、東京瓦斯、東京海上火災保険、
王子製紙、秩父セメント、帝国ホテル、
秩父鉄道、京阪電気鉄道、
麒麟麦酒、サッポロビール、
東洋紡績、大日本製糖、明治製糖、
それから東京証券取引所まで創設し、
その企業数は500以上。
二松學舍第3代舎長のほか、
商法講習所(現・一橋大学)、
大倉商業学校(現・東京経済大学)を設立。
「論語」をもとにした経営哲学にも精通した。
2024年からは、
福澤諭吉に代わって、
新紙幣1万円札の顔になるし、
来年の2021年には、
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の、
主人公となる。
渋沢栄一賞は、
埼玉県が表彰する経営者賞だが、
冠(かんむり)が渋沢栄一でもあって、
極めて高い意義と権威をもつ。
渋沢栄一の生き方や功績を、
埼玉県から全国に発信するとともに、
今日の企業家のあるべき姿を示すため、
渋沢栄一の精神を今に受け継ぐ、
全国の企業経営者に贈られる賞である。
似鳥さんの受賞の理由は、
日本を代表する小売業企業ニトリを創業し、
2019年2月期売上高6081憶円、
経常利益1030憶円。
32期連続の増収増益を達成。
さらに似鳥国際奨学財団の設立、
北海道応援基金や似鳥文化財団の設立など、
社会貢献の実施が評価された。
似鳥さんの波乱万丈の生き方も、
渋沢栄一賞にふさわしいと思う。
なお、同賞は、
2008年度の第7回には、
(株)ヤオコーの川野幸夫会長が受賞。
川野さんは埼玉県の出身だけに、
ことさら目出度いし、ご自身、
喜ばれたと思う。
2018年度の第17回には、
田代正美さんも受賞。
(株)バローホールディングス会長兼社長。
渋沢栄一の言葉。
「商売をする上で重要なのは、
競争しながらでも、
道徳を守るということだ」
これは倉本長治と同じだ。
損得より先に善悪を考えよう。
それからこの言葉も好きだ。
夢なき者は理想なし。
理想なき者は信念なし。
信念なき者は計画なし。
計画なき者は実行なし。
実行なき者は成果なし。
成果なき者は幸福なし。
ゆえに幸福を求むる者は、
夢なかるべからず。
夢があれば、
新型コロナウィルスも、
乗り超えることができる。
〈結城義晴〉