住吉美紀さん「コロナ記」の「自分が再起動された」感覚。
商人舎公式ホームページに、
リンクしてもらっているブログ。
久しぶりに見直したら、
更新が途切れているものが多い。
誰もがブログを書く時代は終わった。
ちょっと残念だけれど。
そのリンク集のなかで、
すみきちブログ。
住吉美紀さんのブログ。
フリーアナウンサー。
元NHKの人気アナウンサー。
猫派というところも私と同じ。
2011年12月3日の商人舎忘年会は、
「ふたりのビッグショー」
大久保恒夫&結城義晴。
大久保さんのお誘いで、
住吉さんにも全く個人として、
コーラスで参加してもらった。
その住吉美紀さんが、
COVID-19に感染した。
その顛末がブログで綴られている。
題して「コロナ記」
全文は「すみきちブログ。」で、
読んでください。
5月1日のブログでは、
「まだ入院していますが、
平熱や微熱まで熱が下がってきました。
こうして落ち着いた今、思い返しても、
“まさか自分が
新型コロナに感染するなんて”
という驚きは変わりません」
「そもそもは4月15日水曜朝、
BlueOcean の生放送前に
(ちなみに番組はちょうどこの日から、
自宅からのリモート生放送に
切り替えていました)
準備をしていたら、
コンコンという小さな空咳が
ちょこっと出始めた、
というのが始まりでした」
コンコンという小さな空咳から。
「のど飴を舐めれば
普段だと治まるような小さな咳払いが、
なんとなくずっとある。
しかし息苦しさや大げさな咳はない。
ふむ。」
「翌日、少し熱っぽさを感じて
熱を測ると、37.2度ありました。
“いや、これは今週きっと
仕事のストレスが強いせいだ”など、
違うと信じたい気持ちで
いっぱいでした」
わかる。
「そして、金曜朝。
38.2度まで上がっていました。
あーこれは間違いないなと、自分で確信。
とりあえず生放送に穴を空けまいと
そのまま自宅リモート放送に臨み、
放送が終わったところで
スタッフに発熱した旨伝えるのが精一杯。
あとは寝込みました」
放送の仕事は穴をあけられない。
「そこから一気に熱は上がり、
その日のうちに39度。
その後39~40度が1週間続きました」
コロナに感染すると、
こういった経緯を踏む。
「体か精神かどちらかが
壊れてしまうかもと
思った夜もありました」
「さらに途中からは
強い胃のムカつきがあり、
吐き気と格闘しながら食事をとったり、
頭痛にも耐えたり」
「こんなに激しく、そして長く
ウィルスと戦ったのは、
生まれて初めてです」
「入院は、高熱3日目に差し掛かり、
アレルギー性の喘息もあり
心配と周りの方からの
強いアドバイスに押され、
這うようにして夜間救急に
行ったことがきっかけ」
何はともあれ、
病院へ。
「いま思えば本当にあのとき
入院できてよかった。
あそこでもしも
入院していなかったらと思うと…
正直、ゾッとします」
「間違いなく、
life changing event。
まだわからないけれど、
もう元には戻れない、
人生観も変わりそうです」
人生観が変わりそうだというところ。
貴重な発言です。
住吉さんはこのあと、
医療関係者の方々に、
心から敬意と感謝を表する。
「このウィルスは
スルっと入り込んできます。
私自身、神経質なくらい
気をつけていましたが、それでも、
職場など最低限と思われる接触でも
感染してしまうこともあるんだ
ということを実感しています」
コロナは、
スルっと入り込む。
「そして一度感染、発症すると長いです。
どうぞ、みなさま他人事と思わず、
自分事として、接触を減らすこと、
免疫力が下がらないよう心身ともに
健康的な生活をすることを
今は大切にされてください」
「私はまだもう少し戦わねば、
体力も落ちて、今まともな声も出ません。
しかし、自分の体は
ほんとにがんばってくれた。
そして、きょうも病室から見える
街路樹の緑と青空が綺麗です。
嗚呼、生きてるって、素晴らしい!」
コロナ感染で入院中に、
これだけのことを書ける。
なんとも凄い女性だ。
住吉さんは、
5月最初の週末に退院し、
現在、自宅療養中。
「改めて、生きていること、
美味しく食べられること、
笑えることって、
こんなに素敵なことなのかと
感動しています」
「すっかり社会すべてと離れていたため、
いま自分が再起動されたような、
まっさらな、不思議な感覚です」
自分が再起動される。
まっさらな、
不思議な感覚。
このポジティブシンキング。
そしてこの感性。
万が一、みなさんも私も、
コロナに感染しても、
住吉美紀さんのように、
立ち直りたい。
そう思った。
退院、おめでとう。
元気なお姿での復帰を、
期待しています。
〈結城義晴〉