梅雨・夏至・日蝕と「父の日の自戒を一つ減らしけり」
今日はもう夏至。
昼の時間が最も長い。
今年の時間は早い。
梅雨ながら且つ夏至ながら暮れてゆく
〈相生垣瓜人(あいおいがき かじん)〉
瓜人は明治31年(1898年)に生まれ、
昭和3年(1928年)に没した仙人のような俳人。
夏至の句も数多く作っている。
この句は「季重なり」で、
梅雨と夏至の二つの季語が入っている。
通常は禁じ手だが、
この句はそれがいい。
瓜人には梅雨と夏至の句が多い。
梅雨が又終日夏至を虐(しいた)げし
梅雨であり、夏至である今日。
さらに今日は、
日蝕(にっしょく)となった。
太陽が月によって覆われ、
欠けて見えたり、
全く見えなくなったりする現象。
「日食」とも書くが、
私には「日蝕」が好ましい。
鳥取砂丘。
午後5時8分にピークを迎えた部分日蝕。
地球から見ると、
後ろに太陽があり、
前に月があって、
太陽を部分的に月が隠してしまう。
沖縄県の石垣島は、
午後5時16分に、
美しい部分日蝕となった。
さらに台湾では、
金環蝕が見られた。
太陽が月の外側に光輪状にはみ出す。
梅雨の時期の日蝕は、
雨が降ったり雲に覆われたりして、
見えないことが多い。
梅雨明けした沖縄や台湾だから、
この時期の日蝕が美しく見えた。
今日は日本海側の諸地域で、
日蝕を見ることができた。
正岡子規にも日蝕の句がある。
日と月と重なりあふて昼暗し
天文学の標語のような句だ。
梅雨、夏至、日曜日。
そのうえ今日は、
父の日。
娘がやって来て、
プレゼントをくれた。
父の日の自戒を一つ減らしけり
〈鷹羽狩行(たかは しゅぎょう)〉
1930年(昭和5年)生まれの俳人。
梅雨の夏至の日蝕の日曜日の父の日。
しかし正岡子規。
病苦安眠せず
夏至過ぎて吾に寝ぬ夜の長くなる
〈正岡子規〉
明治29年(1896年)の句。
「寒山落木」収蔵。
日清戦争は明治27年(1894年)から、
翌明治28年(1895年)に起こった
清国との戦争。
子規は28年に、
新聞「日本」の従軍記者となって中国に渡る。
しかし帰国の船内で喀血。
翌29年2月には脊椎カリエスと診断され、
3月に手術を受けた。
その年の夏至の句。
眠れない夜が続くが、
夏至を過ぎてから、
その眠れぬ夜が長くなっていく。
コロナは時間を早めるが、
子規の眠れぬ夜は、
長くなっていった。
最後に朝日新聞「折々のことば」
今日は第1852回。
ななおさかきの詩集、
『ココペリの足あと』から。
今度 生まれる ときは
雑巾に
瑠璃色の 雑巾に なろう
使えば 使うほど
今日の空に 近づく
瑠璃色の 雑巾に なろう
おのれを 汚して 窓ガラスを
台所を 便所を 拭きあげよう
また 差別を 戦争を 拭きとばそう
もし 世界が あるならば
その 片隅から 磨くとしよう
もし 永遠が あるならば
いつもの 一瞬を 輝かすとしよう
榊七夫は、
1923年生まれで2008年没の詩人。
「世界を放浪し、行く先々で
ビート詩人たちと詩会を開き、
コミューンをつくって
山河を護(まも)る活動を行った」
もし、世界があるならば、
ありつづけるならば。
その片隅から磨くとしよう。
自戒をひとつずつ、
減らしながら。
〈結城義晴〉