「読む人・聞く人」「話す人・書く人」&「心地よい要素・真実な要素」
今日は一日中、
「聞くこと」に徹した。
もちろん聞いてから考えて、
それに答えて話す。
ピーター・ドラッカーは問う。
「自分が読む人間か、
それとも聞く人間か」
理解の仕方に関する二つのタイプ。
「世の中には読み手と聞き手がいる。
しかも、その両方であるという人は、
ほとんどいない」
小売業やサービス業は、
聞く人が多いように感じられる。
実際に、聞く訓練ばかりしているから、
聞く人が多くなるのかもしれない。
しかしマニュアルが好きな人は、
読む人間だ。
スマホやメールで情報を得るのが好きな人も、
実は読む人間だ。
ドラッカーは書いている。
「講義、書物いろいろある。
大切なのはいかに学ぶかだ。
書物から学べない人がいる。
講義から学べない人もいる。
私の知る中には講義、書物ともに
学べない人さえいる」
つまり読む人でも聞く人でもない人。
この後が傑作。
「実は私もそうだ」
「私は教えることによってしか学べない」
「読む、聞く」が、
情報や知見のインプットの方法だとすれば、
「話す、書く」は、
アウトプットの方法だ。
コミュニケーションは、
この4つの方法で行われる。
「話すことと書くこと」に関しては、
ブレーズ・パスカルが「パンセ」に書いている。
「話はうまいのだが、
書くのがへたな人というのがいる」
〈断章四七〉より。
私もずいぶんそういう人と出会ってきた。
「それは、話す場所があり、
聴衆がいることが、その人を熱くし、
その人の精神から多くを引きだすからだ」
話す人にとっては、
聞く人が必須なのだ。
誰も聞く人がいないのに話すのは、
落語家の稽古だ。
「ところが、話す場所や聴衆がいないと、
その人は熱くなれないので、
精神から何も出てこないのである」
しかし話す人は、
訓練次第で書く人になれる。
一定以上の書き手には、
誰でもなれる。
そして書く人も、
訓練次第で話す人になれる。
私は経験を通じて、
固くそう信じている。
パスカルは「雄弁」についても書いている。
「雄弁――
聞いていて心地よい要素と、
真実な要素の両方がなくてはならない」
「しかし、心地よい要素とは、
それ自体、真実な要素の中から
生まれてくるものなのだ」
〈断章二五〉
聞く人か読む人か、
書く人か話す人か。
書けて話せる人か。
自分がどちらの人間か、
あるいはどちらでもないかを、
知っておく必要がある。
自問自答してほしい。
それが仕事の成果を左右する。
私に関しては、
最近になって気づいたのだが、
「教えることによって学ぶ人間」だった。
ドラッカーには及びもつかないが。
さて、柳沼克彰さんとともにヒアリング。
つまり聞く人間となった。
柳沼さんはKMW㈱ユニットマネジャー。
ナレッジ・マーチャントワークス。
対象は近畿地区のブロックマネジャー4人。
しかし聞きつつ、
教えている自分に気づかされた。
サミット㈱本社を訪れて、
インタビュー。
加藤豊さん(中)。
総務部総務グループマネジャー。
広報室/社長秘書の植川肇さんが、
付き添ってくれた。
ここでは聞くことに徹したが、
やはり聞きつつ、話す。
とてもいい内容で、私は感動した。
ありがとうございました。
詳細は月刊商人舎7月号。
最後は㈱紀文食品本社へ。
緊急事態宣言が解除され、
東京アラートも停止されて、
久しぶりに情報交換。
私の隣から副社長の弓削渉さんと、
常務執行役員営業本部長の國松浩さん、
営業企画本部営業企画部部長の林直人さん。
ここでも聞いて、話して、
その相互の交換。
ありがとうございました。
COVID-19禍で、
「三密」を避けなければならない。
マスクをして、
会話はできるだけ控える。
これが続くと、
コミュニケーションは、
「読む」「書く」のサイドに、
ちょっとだけシフトするかもしれない。
もちろん、
オンラインでのcommunicationは、
「話す」「聞く」要素を補完してくれる。
しかしインターネットも、
読む・書くである。
動画が入ってくると、
話す・聞くもあるが。
確かなことが一つだけある。
それは、
コミュニケーションが、
変質してくることだ。
しかし変化したコミュニケーションも、
「心地よい要素」と「真実な要素」の、
両方がなくてはならない。
そして「心地よい要素」とは、
それ自体、「真実な要素」の中から
生まれてくるものなのだ。
〈結城義晴〉