「君、それ自分で見たのか」と「遠近隔たった二様の視点」
今日の日曜日の朝日新聞一面。
「折々のことば」
鷲田清一さん編著。
新聞休刊日を除いて、毎朝、
欠かさず連載が続けられているから、
もう5年になる。
その前には、
大岡信さんの「折々のうた」があった。
やはり朝日の朝刊一面に、
1979年1月25日から、
2007年3月31日まで続いた。
「新聞を左下から読ませる」と、
激賞された。
現在の「折々のことば」も、
同様に左下から読ませる。
朝日の看板「天声人語」は、
ひどく影が薄くなってしまった。
その鷲田さんの連載第1回は、
2015年4月1日。
涯(はて)は
涯ない
(大岡信)
「8762回にわたり、
本誌で書き継がれた『折々のうた』
それをまとめた本の最終頁に、
そっとこう記されていた」
鷲田清一さん。
「ことばはひとの体験を
まとめなおしてくれるもの。
別の角度から見るよう
促してくれるもの」
「この新しい連載が、
凝り固まった心をほぐし、
ときにはふわりと別の場所へと、
移動させてくれる。
そんなきっかけになればと思う。
人生も旅のようなもの。
涯(はて)はありません」
こうして連載は、
大岡信さんの後を継いで始まった。
5年後の今日の最新のコラムは第1879回。
君、それ
自分で見たのか
(中尾佐助)
『梅棹忠夫 語る』(聞き手・小山修三)から。
梅棹(うめさお)忠夫は1920年に生まれ、
2010年、90歳となって老衰で死去。
生態学者、民族学者、情報学者、未来学者。
国立民族学博物館名誉教授、京都大学名誉教授。
先輩の中尾佐助は、
1916年~1993年。
植物学者で大阪府立大学名誉教授。
ともに京都帝国大学卒業で山岳家。
梅棹が先輩の中尾に議論をふっかける。
中尾はいつも返した。
「君、それ
自分で見たのか」
「自分の目で見て、
自分の頭で考えよ」
それが中尾のメッセージ。
ピーター・ドラッカー。
「ポストモダンの作法」のひとつ。
自分の目で見、
自分の耳で聞き、
自分の頭で考えよ。
「梅棹は後輩たちに
その矜持(きょうじ)をしかと伝えるとともに、
時評など書かず文明論を書けと言った」
「遠近遥(はる)かに隔たった
二様の視点を持つこと」
「虚実を見極めるには
この二つが欠かせない」
ことばは別の角度から見るよう、
促してくれるもの。
したがって、
遠近隔たった二様の視点を持つこと。
その二様の視点からことばを使うこと。
いい雑誌づくりには対極の視点が必須だ。
マガジンハウスの故甘糟章さん。
昨日、講義したFinancial Management。
損益計算書のPL。
貸借対照表のBS。
2つの視点から経営を洗い、
決算を見る。
岡田卓也さんのご尊父の大福帳。
そして見競(くら)べ勘定。
時代を先取りした複式簿記だった。
これも二つの視点から商売を見ることだ。
私は「もう一人の自分をもて」と教える。
自分ともう一人の自分とが、
自己を客観的に見る。
中尾佐助。
梅棹忠夫。
鷲田清一。
ピーター・ドラッカー。
岡田卓也。
僭越ながら、
結城義晴も。
COVID-19そのものも、
それへの対応も、
虚実を見極める必要がある。
その虚実を見極めることを考える。
いい日曜日だ。
〈結城義晴〉