生団連の小川賢太郎会長対談の「先見性と先進性と若さ」
今日の午前中は、
オンライン会議。
第一屋製パン㈱の取締役会。
緊急事態宣言下では、
リモートで出席させてもらう。
午後は東京・品川へ。
こちらはリモートではできない。
生団連会長のインタビュー。
小川賢太郎さん。
「生団連」は「経団連」に対峙する組織だと、
私は思っている。
正式名称は、
国民生活産業・消費者団体連合会。
会長の小川さんは、
㈱ゼンショーホールディングス会長兼社長。
生団連は2011年12月2日に、
清水信次さんが創設した組織。
清水さんはもちろん、
㈱ライフコーポレーション会長。
2017年1月27日、
その初代会長の清水さんのあとを受けて、
小川さんが二代目会長に就任した。
その小川賢太郎さんに会った。
品川駅に直結するJR品川イーストビル。
その8階にゼンショーの本社があり、
現在、生団連の事務所もある。
総合受付の前に、
ゼンショーのマークの陶器が並ぶ。
会議室の窓からは、
品川の景色が見降ろせる。
アクリルパネルを間に挟んで、
1時間半くらい話した。
そのあとで写真撮影用に、
一瞬だけ向かい合った。
小川さんは、
流通サービス業界を代表する論客。
今日も絶好調。
私がボタンを押したら、
語りは止まらない。
生活者、消費者の立場に立って、
現在の問題を整理してくれた。
私も持論を展開して、
「コロナは時間を早める」とか、
「コロナ禍でキャズム(巨大な溝)が生まれた」とか、
そのために「若返れ!」だとか、語った。
詳細は月刊商人舎2月号で読んでいただこう。
対談が終わって並んで記念写真。
最後に私一人で写真。
楽しい時間だった。
ありがとうございました。
さて今日の日経新聞の「大機小機」。
タイトルは、
「先見性と先進性」
コラムニストは桃李さん。
とても示唆に富んだコラムだ。
「コロナ禍最悪の中で
世界的に株式市場は活況である」
実体経済はさておき、
金融経済は活況を呈している。
「ワクチン接種開始で市場は
コロナ後を見据えている」
「コロナ後、元に戻る分野と
そうでない分野がある」
今月開催されたデジタル技術見本市(CES)。
その基調講演は、
ウォルマートのダグ・マクミロンCEO。
「コロナ禍で進んだ
消費行動の変化は
元に戻らない」
同感だ。
ウォルマートはコロナ危機下でも絶好調。
米国内の5500店の既存店を、
ネット通販の配送拠点として併用。
定額制の宅配サービスにも参入。
走りながら考えている。
コラムニスト。
「在宅勤務や、
DXを利用したアウトソーシング、
取引交渉・流通形態が変わり、
企業の最適規模縮小という
永続的変化が早まるだろう」
「大規模企業ほど環境激変への対応が困難で、
逆に中小企業が飛躍する機会でもある」
これは重要なことだ。
「長期目標と思われたSDGsも
技術進歩とも相まって、
今や緊急課題だ」
「変化を先取りした将来ビジョンが
市場評価の決定要因となる」
「とはいえ
技術や環境変化に対応した将来ビジョンが
一朝一夕にできるわけもない」
「長年見定めた目標を目指して
地道に積み上げてきた努力が、
環境変化で表に現れてくるのである」
スティーブ・ジョブズは、
電話がスマホの形になる図を描いていた。
数十年前のことだ。
ビル・ゲイツは、
人類最大の危機はパンデミックで、
準備が必要だと説いていた。
6年前のことだ。
「現在のGAFAがあるのは
このような先見性を持つ
ビジョナリーの存在故である」
「先見性というからには、
長期の洞察が必要で、
その有無は結果が出るまで判明せず、
稀有(けう)な人材が必要だ」
つまり組織が「先見性」をもつには、
ある種の天才が必要だ。
コラムニストの主張。
「先進性なら変化への追随なので、
常人でも意識や組織改革で対応でき、
結果も目に見える」
では「先進性」とは何か。
「成長著しいアジア諸国は女性と若者の国だ。
多様で柔軟な思考や適応力は先見性に似て、
成長の原動力となっている」
「先進性には
若さとダイバーシティーが不可欠だ」
月刊商人舎1月号。
Message of Januaryは、
「若返れ!」
若さは先進性を内包する。
「先進性は、
均一文化のまま高齢化する日本で、
企業が直面する喫緊の課題である」
「DX時代は、
デジタルネーティブに任せる
先進的思考が不可欠だ」
「人材に占める女性若者比率は
先進性指標の一つだろう」
結論。
「先見性まで望まずとも、
まず先進性から始めるべきだ」
最後に付け足し。
「日本企業のコーポレートガバナンスは
国の指導が必要なほど後進的との
経営者の自覚が必要である」
若さが「キャズム」を乗り越える
早さの鍵を握る。
若さが「キャズム」を凌ぐ
柔らかさの源である。
若さが「キャズム」をバネにする
強さの礎である。
そして若さが
企業の生命線である。
〈結城義晴〉