聖バレンタインデーと10年前の余震と「現在を生きる」
福島県沖でマグニチュード7.3の地震。
福島県、宮城県で震度6が観測された。
横浜でも震度4の揺れだった。
あわてて玄関のドアを開けた。
政府の地震調査委員会の発表。
今後1週間程度は、
10年前の大地震の余震域とその周辺では、
最大震度6強程度の地震が起きるおそれがある。
東北電力管内では、
新仙台火力発電所3号系列、
仙台火力発電所4号機などが、
地震の影響で自動停止。
その結果、一時、約86万軒が停電。
福島第1原発の5号機と6号機、
福島第2原発1号機の、
使用済み核燃料プールから水があふれた。
イオンは福島県内の2店を休業した。
イオン相馬店とイオン郡山フェスタ店。
東日本大震災の時と同じように、
館内の天井板がはがれたり、
スプリンクラーが損傷したり。
イトーヨーカ堂も郡山店が休業。
セブン-イレブンも数店舗が休業。
ファミリーマートは約60店が一時休業。
福島、宮城県内のガストなど5店舗が休業、
すき家も5店舗が休業。
東北新幹線は那須塩原駅と盛岡駅の間で、
運転を見合わせた。
東北と関東で合わせて、
153人が怪我をした。
しかし幸いなことに、
亡くなった人はいない。
東日本大震災から10年。
「地球の時計」は長い。
まだまだ余震が続いている。
COVID-19によって、
時間は早まる。
しかし地球の時計と同じように、
感染症の時計も長い。
我々は長い時間を、
新型ウイルスと共生しなければならない。
今日は聖バレンタインデー。
山﨑眞幹の歌。
雪がつもればクリスマス
想いがつのればバレンタイン♫
赤いリボンでつつまれた
贈り物が待ってる
贈り物が待ってる♫
ちいさな喜び
ささやかな幸せ
明日への希望
長い長い時間とともに生きるには、
それがなくてはならない。
瀧落ちてゆく人老いてゆく時間
〈黒田杏子〉
ブレーズ・パスカル。
「パンセ抄」より。
「わたしたちは現在について
ほとんど考えることをしない。
考えるとすれば、
そこから光を取りだして、
未来を照らすためである」
「現在はけっして
私たちの目的とはなりえない」
「過去と現在は、
わたしたちの手段である。
唯一、未来だけが
わたしたちの目的なのである」
しかしパスカルは皮肉屋だ。
「このように、わたしたちは
現在を生きているのではけっしてなく、
将来生きることを希望しているだけなのだ」
「そして、いつもいつも
幸福になる準備ばかりしているので、
現に幸福になることなどできはしないのも
また必然なのである」
〈断章一七二〉
過去と現在は手段だ。
未来だけが目的である。
そしてその現在において、
未来の幸福の準備ばかりしていると、
それは幸福をもたらしはしない。
「わたしたちは、
自分のものではない
過去と未来の中をさまよい、
わたしたちに属する唯一の時間について
いささかも考えないことになる」
「こうした努力はじつに
空しいものである」
「そのために、わたしたちは
何ものでもない時間のことに思いをはせ、
存在する唯一の時間を、
よく考えもせずに
取り逃してしまっているからだ」
なぜ、そんなことをするのか。
「一般に、現在というものは、
わたしたちを傷つけるからである」
「現在は私たちを悲しくさせるので、
それを目の見える範囲から
隠しておこうとする」
「もし、それが楽しいものならば、
わたしたちは、
現在が逃げ去ることを
惜しいと思うだろう」
「わたしたちは、
現在を未来の力を借りて、
支えようとしているのだ」
〈同じく断章一七二〉
「明日への希望」とは、
未来の力を借りて、
現在を支えることである。
地震も感染症も、
わたしたちを傷つける。
しかし現在から目をそらしてはいけない。
現在を考え、生きなければならない。
〈結城義晴〉