3・11から10年/経営の「グランドデザイン」と「知恵と覚悟」
3・11。
10年前の今日、東日本大震災。
COVID-19パンデミックとは違って、
日本だけの、東日本の災禍だった。
今日、東京の国立劇場で、
東日本大震災追悼式が開催された。
天皇陛下、初めてのご出席。
「震災を過去のこととしてではなく、
現在も続いていることとして
捉えていく必要があると感じます」
何度も推敲した文章。
大切なところも淡々と読む。
菅義偉内閣総理大臣のスピーチとは、
ずいぶんと違う印象の追悼の言葉だった。
今日も私は横浜商人舎オフィス。
午後2時46分には合掌して黙とうした。
裏の遊歩道の桜。
1日分、開花が進んだ。
昨日発刊された月刊商人舎3月号。
最近の号は、表紙もとてもいい。
気に入っている。
巻頭には私も書いた。
「東日本大震災から10年、
ともに未来を目指す」
「平成23年3月11日の東日本大震災から
10年が経過する。
この間、私たちは何をしてきたのか、
そしてこれから何をしていくのか。
亡くなられた方々に、
心から哀悼の意を表しつつ、
そのことを考え、決意せねばならない」
「しかし令和3年となった今2021年2月13日、
福島県沖でマグニチュード7.3、
最大震度6強の地震が発生した。
東日本大震災の余震であると言われる」
「政府の地震調査委員会は、
“余震は今後10年程度続く”と
厳しい見解を発表した」
「10年前の大震災の影響で、
東北地方太平洋沖では
地殻に加わる力が変容し、
ひずみが生じた。
研究者たちは、
“余震以外の大地震にも注意が必要”
と警戒を喚起する」
「私たちは地震列島の上で生活し、
商売を営んでいる。
そのことは片時も忘れてはいけない」
(中略:このあと堺屋太一さんの復興の鉄則を紹介)
「それにしても阪神淡路大震災のあとに、
東日本大震災は予想もしなかった。
そして東日本大震災後の10年間、
COVID-19パンデミックなど、
これまた想像もしなかった」
「堺屋太一さんが指摘してくれた”鉄則”は
生き続けるし、役立つものだ」
「その意味で、私たちは
経験を積み重ねている」
「老いも若きも、その経験を共有して、
この街をこの地域を、
この国を”振興”させる未来を見ている」
「被災した人々とともに歩むとは、
ともに未来を目指すことである。」
日経新聞の連載。
「日本は変われたか 大震災10年」
10年が経過したからこそ、
その総括は必須だ。
連載⑴の3月9日(火曜日)の記事は、
岡本全勝さんに聞いた。
元復興庁事務次官で、
福島復興再生総局事務局長。
タイトルは、
「地域再生、ばらまきの限界」
「”壊れたら、直ちに元に戻す”という
長年の経験でインフラ復旧に乗り出した」
「ただ人口減少下で元に戻すことを急いだら、
結果的に過大なものができてしまう。
そこは哲学を変える必要があった」
2012年12月26日に、
民主党から自民党に政権交代したが、
どちらの政府も哲学を変えきれなかった。
「津波で壊れた漁港、
水浸しの農地の復旧は
急ピッチで進んだ。
がれきを片付けた街で
かさ上げの造成工事が進み、
海岸にはより高い防潮堤が築かれた」
「公共投資は被災地の再生を後押ししたが、
前面に出たのは、全国一律の規格で
地方に補助金を配り、
地域の実情と関係なく開発する
ばらまき行政の姿だった」
総復興予算は32兆9000億円となる。
「いまの日本に必要な哲学は、
人口減や働き方の変化に応じ、
暮らしやすい空間をつくることだ」
人口減や働き方の変化。
それに合わせた暮らしやすい空間。
これは、
ポスト・コロナ時代の哲学でもある。
「”災後”にあわてて計画をまとめていては、
手になじんだばらまきを繰り返すだけになる」
「国土利用のグランドデザインを描き直す。
問われるのは予算の大きさより知恵と覚悟だ」
まず、グランドデザイン。
そして予算の大きさよりも、
知恵と覚悟。
これは産業や企業や店舗の再生にも通じる考え方だ。
〈結城義晴〉