「コロナ恐るに足らず」の誤謬と「厚生」の尊厳
九州は早い梅雨入りの上に、
記録的な大雨。
心からお見舞い申し上げたい。
その一方で、
相変わらずの新型コロナウイルス感染。
今日の新規感染者数は、
なんと北海道が、
日本で一番多くて727人。
次いで東京都の 649人、
愛知県の579人。
大阪府は415人まで減ってきた。
大雨の福岡県は387人、
神奈川県が327人。
広島県219人、
沖縄県207人。
その沖縄に、
緊急事態宣言が発令された。
金曜日の夕方、6時を過ぎてから、
菅義偉首相が発表。
後手後手、モグラ叩き。
日経新聞「大機小機」
コラムニストは三剣さん。
「コロナは恐れるに足らず?」
「内閣官房参与の”さざ波”ツイートならずとも、
メディアで報じられる政府関係者の発言には
“コロナ恐れるに足らず”が本音か、と
邪推したくなるものが散見される」
この期に及んで、まだそんな印象がある。
厚生労働省で医薬品業務にかかわる担当者。
国産ワクチンの開発・承認が遅れる現状に
「米国や欧州ほどの感染爆発は起きていない。
何がいけないのか」
「3月には同省老健局が堂々と
“3密”送別会を開いた」
「しかも、主宰した幹部は
“公衆衛生の専門家”との報道もある」
厚生労働省は日本政府の中で、
もっとも「古い体質の役所」のひとつだ。
極めて保守的な風土が残った官庁だ。
コラムニストが指摘する厚労省の本音は、
「専門知識を持たないマスメディアが
過剰に騒ぎ立てている」
「急いでワクチンを認可し、
副作用でも発覚しようものなら、
メディアは手のひら返しで
官僚たたきに走るに相違ない、
という猜疑心(さいぎしん)も見え隠れする」
その考え方の本質は、
国民のための「公僕」というよりも、
自分と自分たちの組織を守ろうとする、
悪い意味での「官僚」である。
人口10万人当たりの感染者数は、
米国が9976人、日本は553人。
5月19日時点で世界で116番目である。
「だが問題の核心は絶対数ではない」
とコラムニスト。
「人口100万人当たりの1週間の新規死者数」
4月7日の直近のボトムは1.04人。
38日後の今月15日は4.97人。
日本は5倍近くの急増。
(札幌医科大学調査)
感染が爆発しているインドは、
3月24日の1.07人が、
4月15日に4.83人に増えた。
インドと同じレベルの急増。
「大阪に限れば事態はインドより深刻だ」
その大阪の3月22日は1.25人、
4月16日には5.68人。
さらにその1カ月後の5月16日には、
27.59人に達した。
「足元で頭打ちになっていても
予断を許さない状況と言える」
コラムニストは怒っている。
「欧米より感染が抑えられていた間に
対策を講じるべきだと誰しも思うなか、
不作為で医療崩壊を助長する政府は
無責任ではないか」
さらに言う。
「この期に及んでもワクチンが
いつどこまで行き渡るのか、
どんよりした不安は消えない」
同感だ。
しかしコロナの効用も見出す。
「エネルギー多消費型社会が
持続的ではないことを見せつけた」
2020年の二酸化炭素排出量は、
経済停滞によって、
前年比で7%減との報告もある。
「どんな環境活動家も
ここまで人々の意識を変えることは
できなかった」
「皮肉というほかない」
「厚生」の「厚(こう)」は、
「加える、強くする」を意味する。
したがって「厚生」とは、
「人々の生活を健康で豊かなものにすること」
「コロナ恐るに足らず」は、
断じて許せない誤謬だ。
人間の命という「尊厳」は、
何よりも優先されねばならない。
官僚も公僕も、
商人も。
今日は毎月恒例の血液検査と診察。
横浜駅から東京駅へ。
駅前の丸ビルと新丸ビル。
丸の内のビル街。
そして大手町プレイスタワー。
この地下1階に私のかかりつけの病院がある。
大手町プレイス内科。
院長の田嶼尚子先生が私の主治医。
日本を代表する糖尿病の権威。
田嶼先生自身、すでに、
ファイザーのワクチンを二度、接種した。
医療従事者でしかも高齢者。
私に対しても接種の注意点を、
懇切丁寧に教授してくださる。
そして万一の副反応への薬も、
処方してもらった。
接種当日には、
その薬を飲んで臨めばいい。
ありがたい。
帰社すると、
亀ヶ谷純子さんから、
達筆の手紙が届いていた。
㈱カメガヤ名誉会長。
神奈川県のドラッグストア。
主力の店舗バナーは「Fit Care DEPOT」
私の「定義集」に、
真面目な感想と率直な決意表明。
素晴らしい。
田嶼尚子先生も亀ヶ谷純子さんも、
「厚生」に対して真摯な人たちだ。
そんな人たちと知己(ちき)を得て、
私は幸せだと思う。
COVID-19にしても、
地球環境や人間の命にしても、
私たちがいつも必ず、
真摯に向き合うべき対象である。
〈結城義晴〉