「ぬくもりやビジョンのないDXはご免である」同感!!
7月に入った。
大変な7月だ。
コロナ禍キャズムの年、
2021年の折り返しである。
7月23日(金曜日)から、
東京オリンピックが始まる。
1964年以来、57年ぶり。
国民の期待は高まる。
しかし新型コロナウイルス感染は、
インド型のデルタ株から、
ペルー型のラムダ株まで登場して、
それらがオリンピック関連の「人流」拡大で、
第五波を生み出す危険性もある。
大変な7月だ。
私自身は7月8日に、
第2回ワクチン接種をする。
私のような高齢者だけではなく、
年齢幅も広がりつつ、
ワクチン接種も進む。
それが唯一といっていい希望だろう。
それでも大変な7月である。
7月の結城義晴は、
それでも動く。
ワクチン接種の翌日、
7月9日から大阪出張。
今回は4日間。
横浜にもどって13日は、
竹林舎の講義。
立教大学大学院と飯能信用金庫が共同して、
経営塾を開催している。
その塾で「マーケティング」を講義する。
翌週の20日も竹林舎講義。
昨年は休講となったが、
今年は開催される。
グループワークなどを組み込んで、
3時間の講義。
今年はDXやビッグデータなども織り込んで、
新しい内容にしようと思っている。
そして23日から東京五輪。
いったい、結末はどうなるのだろう。
しかしどんなときにも、
「前向き・上向き・外向き」
で、生きていきたい。
「下向き・内向き・後ろ向き」は、いやだ。
さて、朝日新聞のコラム。
「経済気象台」
このコラムは社外筆者が執筆している。
「第一線で活躍する経済人、学者ら」とある。
日経新聞の「大機小機」と同じだ。
今日のコラムニストは山猫さん。
ルキノ・ヴィスコンティが好きなのだろう。
そして今日のタイトルは、
「DXと将来ビジョン」
「いまの世の中、
猫もしゃくしもDXでかまびすしい」
同感。
ここでいうDXはもちろん、
“Digital Transformation”
月刊商人舎3月号。
こちらはRetailのDXの話だが、
バックナンバーを持っている人は、
読み返してほしいな。
コラムニスト山猫さんはDXを、
「デジタル化による改革」と説明する。
「政府も9月のデジタル庁発足に向けて、
重点計画の内容を明らかにした」
デジタル庁は菅政権の目玉政策だが、
1年後の9月の発足とは、ちと遅い。
拙速(せっそく)はいけないけれど、
巧遅(こうち)も決してよろしくはない。
「巧遅拙速」という四字熟語は、
いくら上手でも遅いよりは、
たとえ下手でも速いほうがよい、
という意味。
ましてや「コロナは時間を早める」。
結城義晴の持論。
そしてコロナによって、
一番早まるのは、
Digitalの世界だ。
山猫さん。
「マイナンバーカードがその中心だが、
コンビニで住民票を受け取れたり、
個人の健康情報を
全国の医療機関で確認できたりと、
お題目が並ぶ」
「だが住民票は役所に行けばとれるし、
健康情報はプライバシーの問題だ。
もしデータを盗まれたら
どうしてくれるのか」
コラムニストの体験談。
固定資産税を払おうと銀行に行った。
「現金での納付は窓口ではやっていない」
そこで、
「見慣れない機械の前に連れていかれた。
年配の女性客が係員の介添えで
何とか手続きを終え、
やっと順番が回ってきた」
「わたしも
係員の手を借りないとできなかった」
ちょっと情けなさそうだ。
「人員削減を目的に機械化し、
客もそのうち慣れるだろう。
そんな魂胆なのかもしれないが、
年に何度もしない操作を
老人が覚えられるとも思えない」
そして警告。
「効率化すなわち人員削減に
DXのねらいがあるとしたら、
どんなに便利になっても、
人間のクビが切られてしまう
冷たい社会になるだろう」
効率化や生産性の向上は、
人員削減のためではない。
「DXはそれ自体が目的ではなく、
ビジョンを実現するための手段である」
これが本質だ。
「将来ありたい社会の姿についての
議論がないまま、デジタル化だけが
先行することは避けたい」
単行本でも書いたが、
「将来ありたい社会の姿」が根本にあって、
そこから逆算して現在を決める。
大切なのは「ブレイクスルー思考」である。
最後に山猫さん。
「ぬくもりやビジョンのないDXは
ご免である」
[Message of March]
アナログとデジタルを融合させよ。
小売りの仕事はアナログだ。
サービスの業務もアナログだ。
近代化はそれをデジタルに変えた。
アナログは次々にデジタルとなった。
そしてデジタルが世の中を高速化させた。
デジタルが世界を爆発的に膨張させた。
アナログのデジタル化はこれからも加速する。
だから逆にデジタルのアナログ化が必須となる。
かくてアナログとデジタルの融合が進む。
それがDXの本質だ。
それがポスト・コロナの仕事の態度だ。
ポスト・モダンの商売の在り方だ。
〈結城義晴〉