菅義偉首相不出馬の弁の「トレードオフとトレードオン」
二百十日は台風の特異日だ。
その前後には、
大きな台風がやってくる。
ただしコロナ禍の2年間、
気象上の台風は来なかったが、
政治の台風がやってきた。
昨年は安倍晋三首相が突然の退任。
今年は菅義偉首相がこれまた、
突然の自民党総裁選挙不出馬。
つまり首相辞任。
13時05分からの、
そのぶら下がり記者会見は、
たった2分。
私もテレビで見ていた。
「新型コロナウイルス対策と
(総裁選)選挙活動は
莫大なエネルギーが必要だ。
両立はできない」
だからコロナ対策に、
「専任(ママ)」する。
「専念」だろうと思うが、
今回は原稿を読んでの発言ではないから、
言葉の誤用か。
しかし首相としての任期は、
あと1カ月足らずとなった。
コロナ対策に「専任」するとしても、
1カ月で収まるはずはないから、
本格的な対策は、
次期総理総裁のもとで展開される。
それにワクチン担当の河野太郎大臣が、
総裁選に出馬すると表明したのだから、
河野大臣もいったい「両立」できるのか?
などということになってしまう。
つまりは総裁選に出馬しても、
ほぼ負ける情勢になってしまったから、
その言い訳として、
「両立できない」と口にしたに過ぎない。
退任の弁として、
これほど情けないものはない。
両立できないときに、
どちらかに割り切ってしまうことを、
「トレードオフ」という。
なんとしても、
両立をやり遂げることを、
「トレードオン」という。
しつこく書くけれど、
『コロナは時間を早める』の、
主テーマの一つ。
コロナ拡大防止対策と、
経済の活性化対策。
それを両立させようとしてきたのが、
菅首相にとっての
この1年間だったはずだ。
つまり懸命にトレードオンを志向した。
しかし最後の最後で、
トレードオフになってしまった。
ということはこの1年間、
結局、進化はなかった。
どちらもやれなかった。
それを証明してしまう最後の弁だった。
トレードオンのテーマは、
ずっと一定ではない。
いつもいつも複雑に変化する。
その複雑化から逃げてはいけない。
トレードオフは、
安易な逃げの構図に安住しやすい。
ちょっと厳しすぎる評価だろうか。
首相就任の直後は、
私も期待をした。
指名した大臣たちの就任の弁を聞いて、
菅総理もなかなかやるなぁ、と感じた。
その後の落差が大きかった。
だから落胆も激しかった。
しかし退陣の報道を受けて、
日経平均株価は、
2カ月ぶりに2万9000円を超えた。
株式市場は、
菅退陣を歓迎した。
二百十日前後のとんだドタバタ。
政府全体の行動としてみれば、
退陣表明自体がコロナ対策の中断であった。
菅義偉首相は事あるごとに繰り返した。
「店は客のためにある」と、
呪文のように繰り返していた社長が、
その店も会社も潰してしまうことがある。
残念なことだが、
それがこの1年だった。
しかたがない。
取り返しはつかない。
後任の総理総裁が、
その分も取り戻してくれることを、
見守りつつ、期待しよう。
朝日新聞DIGITALで語っている。
昨年2月、
「ダイヤモンド・プリンセス」号に、
自ら乗り込んで活躍した感染症内科医。
「菅首相は、
自分に都合の良いことを言う人は
味方につけ、
厳しいことを言う人は追い出す」
「人事で人を掌握する、
古いタイプの政治家だと思う」
人事で人を掌握するタイプの、
古い古い経営者と同じだ。
その結果として、
「楽観的な見方やデータだけを
採用するようになった」
そのうえ、菅首相のコロナ対応。
「最大の問題は
ビジョンがないこと」
「あるのは、
すでに起きてしまった事態への
対応だけだった」
「感染者や自宅療養者が
実際に増えてから対応するため、
後手後手になっている」
これも経営に通じる。
ビジョンのない経営。
感染症医がなぜ、
こんな発想をもてるのか。
それはわからないが、
説得力がある。
「現実から目をそらさないこと」
「楽観的なシナリオだけを追わない」
「悲観的な見解やデータもまっすぐに見る」
「現実がどちらに転んでも良いようにしておく」
最悪を覚悟して、
最善を尽くす。
「現実から目をそらしたら、
それはもはや政治家とは呼べない」
現実から目をそらしたら、
それはもはや経営者とは呼べない。
現実から目をそらしたら、
知識商人ではない。
だから現実をモニタリングせよ。
自分の目で見、自分の耳で聴け。
ドラッカーの教えだ。
そしてトレードオンをやり遂げる。
次の総理総裁に期待しよう。
選択肢はそれしかない。
今日のブログは、
政治の話ではない。
経営の話であり、
商売の話である。
〈結城義晴〉