「9・11」に思う三千年紀の「トレードオン」
2001年9月11日。
アメリカ同時多発テロ。
9・11。
英語では、
「September 11 attacks」と呼ばれる。
もう20年が経過した。
イスラムのテロ組織アルカイダが、
アメリカ合衆国に対して、
4回のテロ攻撃を仕掛けた。
2977人が死亡し、
2万5000人以上が負傷した。
アルカイダは旅客機4機をハイジャックし、
2機はマンハッタンのツインタワーを、
1機は米国国防総省ペンタゴンを襲撃した。
もう1機はペンシルバニアの野原に墜落。
アメリカ本土が攻撃されたのは、
南北戦争などの内戦を除けば、
実に、初めてのことだった。
第一次世界大戦でも、
第二次世界大戦でも、
アメリカ本土は戦場とならなかった。
ハワイの真珠湾は襲撃されたけれど。
21世紀に入って、
初めてそれを体験した。
しかもジハードという自爆テロである。
それ以来、米国はもとより、
世界の空港では、
厳重な出入国管理が行われるようになった。
もうずいぶん慣れて、
当たり前のようになってしまったが、
それ以前は出国も入国も、
実にのんびりしたものだった。
アメリカは徹底して、
アルカイダの首謀者を追いかけた。
オサマ・ビン・ラディンである。
ビン・ラディンも当初は否定していたが、
2004年にこのテロに関与したことを認めた。
10年間の追跡の末、
2011年5月2日、パキスタンで、
アメリカ特殊部隊によって、
ビン・ラディンは殺害された。
この9・11が契機となって、
アフガニスタン紛争が勃発した。
20年後の今年、
アメリカ軍はアフガンから撤退した。
大統領は、
ジョージ・W・ブッシュから、
バラク・オバマへ、
さらにドナルド・トランプ、
ジョー・バイデンへと変わった。
共和党と民主党が、
時代ごとにそれぞれ入れ替わったが、
この9・11に関しては、
アメリカ合衆国は一貫して闘った。
そしてアフガンからは撤退した。
ニューヨーク・マンハッタンの、
世界貿易センター跡は、
グランド・ゼロと呼ばれて、
時間をかけて復興された。
現在はツインタワーの前に、
ワンワールドトレードセンターが建てられた。
ツインタワーの跡には、
2つの慰霊プールができた。
亡くなった人の誕生日には、
今も花が飾られている。
そのとき私は日本にいて、
テレビで映像を観ていた。
9月11日は秋の米国視察シーズンで、
多くの商業人がアメリカにいた。
非常事態宣言のなか、
それぞれに出国して、
日本に帰国した。
20世紀が終焉し、
次の千年紀に向かう年、
新しい戦争が始まった。
象徴的なことだった。
塩野七生『十字軍物語』には、
その最初の一行に書かれている。
「戦争とは、諸所の難題を
一挙に解決しようとしたときに、
人間の頭の中に浮かび上がってくる、
考え(アイデア)である」
イスラム教は7世紀前半に、
アラビア半島から発した。
ヨーロッパのキリスト教国は、
この侵害してくるイスラム圏に向けて、
国を超えた軍隊を編成して、
討伐にむかった。
それが十字軍だ。
ビン・ラディンを負う特殊部隊も、
アフガニスタンに従軍した兵士たちも、
この十字軍をイメージしたに違いない。
だから二千年紀の1000年間、
その十字軍のイメージは残っていた。
そして9・11。
ビンラディンも自分の問題を、
一挙に解決しようとしたのだろう。
アメリカもアフガンを、
一挙に解決しようと考えた。
しかしそれはどちらも、
世界を良くしてはいない。
21世紀には、
そして三千年紀には、
難題であればあるほど、
一挙に解決しようと考えてはならない。
それを私たちに教えてくれたのが、
9・11だった。
マンハッタンを訪れるとき、
私はいつもそれを考える。
最近の私の持論に引き付けて言えば、
「トレードオフ」の考え方で、
一挙に解決しようとすると、
解決される問題ももちろんあるが、
たいていは混迷する。
あちらを立てればこちらが立たず、
こちらを立てればあちらが立たず。
ならばどちらかを切り捨ててしまえ。
それでも混迷は深くなるばかりだ。
「トレードオン」によって、
あちらも立てて、こちらも立てる。
絡まった糸を、
丹念に、丁寧に、
解きほぐす。
それがトレードオンだ。
核の問題も、
環境の問題も、
地球温暖化の問題も、
フードロスの問題も、
民族や人種の問題も、
格差や差別の問題も、
短絡してはならない。
もちろん、
商売も経営も、
店も売場も、
組織も人も、
辛抱強く、丁寧に、
対応し続ける。
9・11は私たちに、
それを教えてくれる。
合掌。
〈結城義晴〉