新規陽性判明者4万1485人と足して2で割る「玉虫色の判断」
新型コロナウイルスも、
かつてのアルファ株、べータ株、
ガンマ株やデルタ株と、
現在主流のオミクロン株は、
同じ次元で考えるべきではない。
そういった見解がある。
感染力は高まるけれど、
毒性は弱まる。
確かにこの流れの中にある。
しかしそれでも今日も、
全国で1日、4万1485人。
新規陽性判明者が出た。
東京は7377人、大阪は6101人。
首都圏の1都3県では1万3485人。
関西圏の1府2県で9817人。
症状としては約7割が発熱、
約4割は咳が出る。
肺炎はほぼゼロ。
さらに咽頭痛、倦怠感など、
風邪の症状が出ることが多い。
店で従業員に陽性反応が出たら、
保健所など行政機関と連携して、
感染者の行動歴、および、
濃厚接触の可能性のある従業員を調査し、
濃厚接触者は行政機関の指示に基づいて、
適切な対応を実施する。
同時に速やかに店舗内の消毒作業を実施する
さらに従業員の了承のもとで、
速やかに当該事業所従業員の抗原検査を実施し、
感染拡大の可能性がないことを確認する。
そして営業を続ける。
これはサミット㈱の対応の手順だ。
いわばお手本である。
全国で4万人の陽性者が出ると、
一つひとつの局面で、
こういった措置が取られる。
たいへんな労力であるし、
たいへんなストレスである。
現場の対応には頭が下がる。
簡単に「軽症だ」などと、
片付けることはできない。
ブースター接種を待ちながら、
やれること、
やるべきことを、
やる。
やってはいけないことは、
やらない。
これはずっと変わらない。
ありがとう。
今日は午前中、
㈱True Dataの取締役会。
最近はほとんどオンライン会議だ。
True Dataは今日、
ベトナム最大級のICT企業FPTソフトウェアと、
戦略的な業務提携契約を結んだ。
同時にその子会社のTRANDATAと、
資本業務提携をした。
アジアの成長市場ベトナムでも、
ビッグデータマーケティングが重視され、
True Dataのモデルが、
高く評価されたことになる。
いい方向に進んでいる。
午後は商人舎オフィスに来客。
13時に稲越大樹さん。
㈱万代総務部付業務サポートチームシニアリーダー。
重要な打ち合わせ。
それから15時には、
イオンリテール㈱のお二人。
工藤一実さんと越川泰江さん。
工藤さんは南関東カンパニー支社長付、
研修メイン講師。
越川さんは同人事総務部教育担当部長。
昨年に続いて2月に、
「店長塾」で講義する。
ケン・ブランチャードの話で、
意気投合。
イオンリテールの教育、
なかなか凄い。
さて、朝日新聞の「経済気象台」
タイトルは、
「足して2で割るだけでは」
コラムニストは硬骨漢の山猫さん。
「18歳以下の子どもへの10万円給付で
政府の判断は迷走した」
岸田政権発足直後の、
ちょっと古い話だが。
公明党案は一律10万円支給案だった。
「それを丸のみすると、
自民党のメンツがつぶれてしまう。
そこで現金とクーポンの2回に分ける。
クーポンは参院選前に配れば、
選挙対策になる」
「足して2で割るような結論
だったのではないか」
二兎を追うもの一兎も得ず。
「最終的には、反発した自治体の判断に
任せるというまさかの結論になった」
「子育て世帯の救済という
本来の目的は置き去りにされた」
手厳しい。
北京五輪の「外交的ボイコット」の問題も、
足して2で割る感じだ。
山猫さん。
「同じことが企業活動にもいえる」
「正社員のシニア層は解雇できないので、
若者を非正規で採用することで
総人件費はキープする」
自動車業界。
「下請けの部品会社への配慮なのか、
電気自動車にシフトする世界的な潮流の中で
ハイブリッドも守る」
そして言う。
「いまや米テスラの時価総額は
トヨタ自動車の3倍になった」
「新規事業と時代遅れの事業の
新陳代謝を加速し、
成長を促す割り切りができない」
それはそうだが、
なかなかそれができない。
「スパッと決断できないのは、
確固とした理念やポリシーに
欠けているからだ」
「どんな社会の将来像を描いて
進んでいくのかが問われている」
「それをしっかりした
コミュニケーションにより、
相手に理解してもらうのが
政治や外交、そして経営の肝である」
正論だが、これこそ、
ミッションマネジメントである。
「岸田政権が掲げる”新しい資本主義”も、
いまさら大勢のメンバーで
話し合いをしているようでは遅い」
同感だ。
「聞く姿勢は大切だが、
周りの目を気にして
無難な落としどころを探るようでは
意味がない」
「政治も経済も、玉虫色の判断では
立ち行かない時代のはずだが」
玉虫色の判断が続くと、
「茹でガエル」となる。
ピーター・ドラッカー。
「経済活動の本質とは、
リスクを冒すことである」
玉虫色の判断は、
リスクを冒すことからの回避である。
〈結城義晴〉