小林陵侑の「選手の選手による選手のための五輪」
北京の冬季オリンピック。
小林陵侑(りょうゆう)。
25歳。
凄い。
ジャンプ男子ノーマルヒル。
予選は4位で通過。
決勝では1本目でトップに立った。
2本目は1本目の成績順で、
最終のジャンプとなる。
一番最後のプレッシャーのかかる場面。
2位のマヌエル・フェットナーを、
まったく寄せ付けず、
王者のジャンプで優勝。
日本最初の金メダルを獲得。
無駄のない滑走。
鋭くて高い飛び出し。
美しい飛形。
長いながい空中姿勢。
そしてテレマークの着地。
文句のつけようがない。
スキージャンプのお手本のようなフォーム。
飛び終わると点数が発表される前に、
肩車されて日の丸を掲げた。
誰にもわかる金メダルだった。
スキージャンプの金メダルは、
1998年の長野五輪ラージヒル以来だ。
24年ぶり。
このときは船木和喜が優勝。
そのまえは1972年の札幌五輪。
50年前。
70m級の笠谷幸生が金メダル。
四半世紀に一度の快挙と言うことになる。
小林は岩手県出身。
5歳でスキーを始めた。
スポーツ万能だったが、
全日本中学大会で、
ジャンプとノルディック複合の2冠を達成。
史上2人目だった。
そして盛岡中央高校時代に、
葛西紀明にスカウトされた。
葛西は土屋ホームスキー部選手兼任監督。
葛西紀明は冬季五輪に8度出場した、
スキージャンプのレジェンド。
この1月にも49歳にして、
雪印メグミルク杯で優勝している。
そのフォームは小林陵侑そっくり。
いや小林が葛西そっくり。
小林の五輪初出場は、
2018年の平昌大会。
五輪前のワールドカップでは、
個人総合ランキング34位だったが、
大番狂わせで7位に入賞。
その後、世界のトップジャンパーの映像を研究。
滑走スピードを殺さず、
踏み出しで上方へ高く飛び出す、
見事なフォームをつくりあげた。
その結果、平昌五輪の翌年は、
ワールドカップ個人総合覇者となった。
舟木にも葛西にも、
できなかった日本選手初の偉業。
今季もジャンプ週間の4戦で3勝。
そして2度目の総合優勝。
ワールドカップ通算26勝。
日本男子歴代最多記録更新中。
当然と言えば当然の勝利。
しかし「師匠」と呼ぶ葛西紀明の存在は大きい。
まだまだラージヒルや団体でも、
活躍してくれるだろう。
習の、習による、習のための五輪。
しかし小林陵侑の躍動は、
それを忘れさせてくれる。
今、世界の人々の前で行われているのは、
選手の選手による選手のための五輪だ。
〈結城義晴〉