プーチンの「神がなければすべては許される」の「最後の夢」
春の彼岸の三連休。
昨日3月18日が彼岸の入り、
土日を挟んで月曜日が彼岸の中日、
春分の日の祝日。
木曜日の3月24日が彼岸明け。
春だぞって、いうとき。
雪とけて村いっぱいの子どもかな
〈小林一茶〉
「雪」という言葉が使われているけれど、
季語は「雪とけて」で、季節は春。
一茶の句で一番好きだ。
そんな春がやってきて、
そして春真っ只中に入っていく。
大川へ吹なぐられし桜哉
これも一茶でニ番目に好きな句だ。
好きなのは春の句が多い。
しかしウクライナの春は遠い。
国連人道問題調整事務所(OCHA)の発表。
3月16日時点で、
ウクライナの国内避難民は648万人となった。
国内で家を出て避難している人々。
一方、すでに国外に逃れた難民は320万人。
さらに地域に取り残されて、
避難できずにいる人々は1200万人以上。
毎日新聞「深掘り」
ロシア文学者を「絶望」させた
プーチンの「最後の夢」
名古屋外国語大学の亀山郁夫学長。
ドストエフスキー研究者として名高い。
文豪ドストエフスキーもロシア人。
大統領プーチンもロシア人。
亀山先生はどう見ているか。
2006年に「カラマーゾフの兄弟」を新訳。
異例のベストセラーになり、
毎日出版文化賞特別賞受賞。
2014年には、
ゴルバチョフ元ソ連大統領と会談。
ロシアの生き字引のような人。
この独白、長いけれど、
本質に迫っている。
ロシア文学者として、
「今回の戦争から受けている衝撃」――。
「強いていえば、
『カラマーゾフの兄弟』に出てくる、
“神がなければ、すべては許される”
という言葉でしょうか」
「この小説は、3人の兄弟がいる
カラマーゾフ家で起きた
父親殺しを軸とする物語なのですが、
“神がなければ……”のひと言は、
父親殺しを正当化するセリフとして
暗示的に示されています」
「神がいないのだから、すべては許される、
というロジックに反転するわけです」
“神は存在するのか”
“存在しなかったとしたら全ては許されるのか”
――「ドストエフスキー自身が
生涯問い続けた命題でもありました」
「”すべては許される”という
アナーキーな精神性は、
ロシア人の精神の闇に深く通じる言葉です」
「アナーキーで自由な精神性は、
いったん落ちはじめたら、
とどまるところを知りません」
「だからこそ、彼らは、
強い神、強い支配者を半ば
マゾヒスティックに待ち望んでいます。
それは必然的に、個人の自立を
著しく遅らせていきます。
自立の観念のないところでは、
他者の自立に対する想像力は生まれません」
「かつて、プーチンの人気が高かった時、
ロシアの兵士たちは、彼の肖像画に
まるで正教信者が聖像画にするように
キスしました」
「支持率が”天に届いた”と
表現されたこともあります」
「しかし、今回の事態は、
少なくとも私たちの常識で考えた場合、
常軌を逸しています」
「不在となった神のステータスを
簒奪(さんだつ)したとしか思えません」
ラテン語のことわざ。
「神は、罰したいと思う人間から
最初に理性を奪う」
「私はそれを思い起こします。
しかし、その神が姿を隠してしまった」
「彼(プーチン)は、
すでに歴史の外に出て、
歴史に対して復讐しようと
もくろんでいるようにさえ思えます」
「プーチン大統領の”狂気”にも、
緻密な論理が隠されています。
侵略を正当化する論理です。
一見、暴力的そのものですが、
常に口実を用意している」
「彼はロシア正教徒として
強烈な使命感をもっています。
その使命感が、自分の理性では
もはやあらがえないほど深く
取りついてしまったのか、
それとも単なる演技なのか、
はたまた口実なのか、
その境界線が見えません」
「いずれにせよ、プーチンの、
観念的なものへの過度の思い入れが、
一番厄介です」
ドストエフスキーはこの気質を
“ベッソフシチナ(悪魔つき)”と呼んだ。
「観念的なものへの、
過度の熱中という主題が
最初に現れるのが『罪と罰』です」
「主人公ラスコーリニコフを見てください。
彼は、2人の女性を殺しておきながら、
ほとんど罪の意識にかられることがない。
正当な理由があれば、天才は、
凡人の権利を踏みにじることができる
とまで豪語している」
「この”正当な理由”というのがくせもので、
そこには論理のすり替えと、
倫理的観念の完全な喪失がうかがえます」
「プーチンは、言葉に対して
猛烈な不信感をもっているのではないでしょうか」
「不信感を持つということは、
逆にそれだけ、
言葉の絶対性への期待が
大きいことを意味しています」
「彼の不信感は、当然、
旧ソ連の情報機関KGBの情報員だったときの
経験が影響しているのでしょう」
「翻って、彼が信じることのできるものは、
人間であって、人間の外にあるものです」
「端的には、人間の身体であり、
そして芸術、すなわち調和的な世界です」
「彼が体を鍛え、芸術家のパトロンとして
振る舞おうとするのもそのためだと思います」
「ただ、ロシアの芸術家は
つねに権力の保護のもとに生き、
二枚舌を駆使しつつ
権力との共生を模索してきた
という現実を忘れてはなりません」
「スターリンとショスタコービチの関係を
思い出してほしいと思います。
状況は、変わっていないのです」
「しかし何よりも問題なのは、
プーチンが、一種の観念的な美学に
酔っていることです」
「彼は、昨年、
ドストエフスキー生誕200年の祝典に出席し、
“天才的な思想家”というメッセージを残しました」
「保守派のイデオローグだった
ドストエフスキーまでも利用して
自分の美学を追求しようとしたのです」
「ウクライナ侵攻も、その根底には、
そうした彼の美学が影を落としています」
「世界が、一人の人間の美学の
犠牲になろうとしている。
恐ろしいことです」
「その”観念的な美学”とは、
“新ユーラシア主義”です」
「プーチン大統領は、
猛烈なロマンチストです」
「緻密な頭脳をもち、
機銃掃射のように言葉を発する
ドライな知性の持ち主である半面、
おそらくはソ連崩壊時に経験した
強烈なトラウマから
抜け出すことができなかった」
「ちなみに、新ユーラシア主義とは、
社会主義の理念に結ばれた旧ソ連の版図を、
ロシア正教の原理で一元化し、
西欧でもアジアでもない、
独自の精神共同体とみなす考えです」
「彼のロマンチストとしての願望に
ぴったり一致しています」
「彼自身が、まさに
新しい”王国”のメサイア(救世主)たることを
願っていたのかもしれません」
「歴史的にも精神的にもウクライナは
俺たちと同じ胎から生まれた」
この意識が根本にある。
「兄弟が、母子が一体となり、
新ユーラシア主義を実現すること」
「それがプーチンが追い求める
最後の”夢”であり、
最後の欲望なのでしょう」
「ここまで情報がオープンと化した時代に、
NATOの脅威など恐れることは
なかったはずです。
むしろ、協力関係という選択肢も
ありえたはずですから」
「にもかかわらず彼が、
NATOの東方拡大を口実に侵攻したのは、
精神的共同体の夢が壊されるのが、
よほど怖かったからではないでしょうか」
「グローバリズムに完全に乗り遅れ、
資源大国から一歩も先に歩みだせない焦りが、
精神的共同体の夢の強化に拍車をかけた
と言ってもよいかもしれません」
“神がなければ、すべては許される”
その最後の夢。
成就することがないばかりか、
ヒトラーの如く歴史に刻まれるだろう。
〈結城義晴〉