清志郎の「夢のカタチ」とブッダの「幸せであれ」
朝日新聞の一面コラム「天声人語」
読売新聞の「編集手帳」と並んで、
名文が多いと言われる。
大学受験のテスト問題などに、
ときどき使われたりする。
昨日のコラムは忌野清志郎。
早世したロックミュージシャン。
その清志郎の「夢をカタチにするやり方」
「高校時代、なりたい自分を
マンガに描いていた」
「落書きのような絵の中の
自分と仲間たちは売れっ子のバンドで、
人気がありすぎて困っている。
ビートルズのように
レコード会社を設立して、
好きなように音楽をやっている」
「決意を示すためだろうか、
ラジオの深夜番組にも送りつけた」
『ロックで独立する方法』(新潮社)から。
「意志の強い人らしい逸話である」
「スポーツでのイメージトレーニングに近い話だ」
清志郎は1951年4月2日生まれ。
このコラムが書かれたのが同じ日だ。
1968年、RCサクセションを結成。
17歳の高校生のときである。
もちろんアマチュアバンド。
1970年にはレコードデビュー。
19歳でプロになってしまう。
72年、「僕の好きな先生」がヒットする。
21歳。
それ以来、紆余曲折を経て、
類のない日本のロックスターに。
1980年代には、
ファッションや言動も含めて、
さまざまに時代を席捲した。
2009年、58歳で逝去。
コラムは夢にもどる。
「”はかない”や”かなわぬ”などの
形容詞が似合う夢ではあるが、
絵にすると一歩近づく気がするかもしれない」
「春という季節は、
夢や希望、憧れと相性がいい」
「重いコートを脱いで、身軽になるからか。
新年度が始まり、多くの人が
新しい学びや仕事に足を踏み入れるからか」
「もし1枚目に描いた夢が破れたり、
そこから心が離れたりしたら、
2枚目、3枚目を描けばいい」
「そのたびに自分になじんでくる。
そういうことだってある」
同感だ。
夢をもとう。
夢を絵に描こう。
夢を文にしよう。
今年はとくにそう思う。
「いかなる生物生類(しょうるい)であっても、
怯(おび)えているものでも
強剛(きょうごう)なものでも、
悉(ことごと)く、
長いものでも、
大きなものでも、
中くらいのものでも、
短いものでも、
微細なものでも、
粗大なものでも、
目に見えるものでも、
見えないものでも、
遠くに住むものでも、
近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、
幸せであれ」
(『ブッダのことば』岩波文庫)
ブッダは仏教の開祖。
ゴータマ・シッダールタ。
紀元前463年4月8日に、
小国カピラバストゥの王子として生まれたが、
29歳のときに宮殿を逃れて苦行し、
35歳のときに、悟りを開いて、
ブッダとなった。
紀元前383年に、
52歳で亡くなったとされる。
ブッダも夢を描く人だった。
ウクライナの人々も、
ロシアの人々さえも、
そして私たちも、
夢をもつことが必要だ。
夢を描けることが大事だ。
〈結城義晴〉