訃報/寿屋創業者・壽崎肇さん、「ありがとう屋」さんのご逝去
壽崎肇さんが亡くなられた。
5月9日、午後1時2分。
嚥下(えんげ)性肺炎だった。
96歳。
寿屋の創業者。
九州で一番大きなチェーンストアとなって、
1990年代には、
年商1000億円を超える規模だった。
1926年(大正15年)、
大分県佐伯市生まれ。
ライフコーポレーションの清水信次さんと同年。
故渥美俊一先生とも同い年。
私の大学の恩師・壽里茂先生とも、
私の両親とも同じだ。
戦後の1947年、佐伯で化粧品店を開業。
1957年には寿屋を設立して社長に就任。
商業界で倉本長治に学び、
「店は客のためにある」と商売に励んだ。
ペガサスクラブで渥美先生に学んで、
多店化を図った。
倉本長治で商売の基礎を固め、
渥美俊一で商売を成長させた。
全国にそういった商人が数多生まれた。
壽埼さんは1990年には会長に退いて、
92年から95年まで最高顧問を務めた。
会社は業績が悪化して、
2001年12月に民事再生法を適用申請。
店舗を他社に譲渡するなどして、
2002年2月、小売業を廃業した。
同じように九州から発した㈱ユニードは、
1981年にダイエーグループの傘下に入り、
1994年にダイエーに吸収合併された。
熊本で創業した㈱ニコニコ堂もやはり、
2002年に民事再生法適用を申請して、
事実上倒産し、
最後は㈱イズミに吸収された。
なぜ、揃いも揃って倒産したのか。
壽埼さんは1980年に、
公益財団法人壽崎育英財団を設立して、
若者に奨学金を提供し続けた。
商業界ではエルダーとして、
全国の同友を指導し、
九州連合同友会では長らく会長を務めた。
80代までは毎年のように、
海外視察研修に参加して勉強を続けた。
2010年には石原靖曠先生のコーディネートで、
コロラド州とニューメキシコ州を視察。
壽埼さんは店舗を訪れると、
全通路(アイル)を相当のスピードで、
くまなく歩いた。
どんなに早歩きしても、
隅々まで歩くだけで、
「その店や売場はわかります」と言った。
私は自分の初めての渡米のときに、
壽崎さんとご一緒した。
1978年9月、
ロサンゼルスとサンフランシスコを訪れた。
最後の最後は、
フィッシャーマンズワーフで打ち上げ。
壽崎さんからマルガリータをごちそうになって、
サンフランの夜の街をふたりで歩いた。
私は後ろから壽崎さんの腰を押して、
坂道を登った。
私は26歳、壽埼さんは倍の52歳だった。
その映像は今でも瞼に残っている。
一昨年には、壽崎さんが、
月刊商人舎5月号の在庫を、
全部買い取って、
商業界九州連合会の皆さんに配ってくださった。
月刊商人舎2020年5月号。
特集「コロナは時間を早める」
「いい教科書です。
私は二度読みました。
みんなに勉強してもらいたい」
そう言ってくださった。
壽崎さんは雑誌や本を読むときにも、
店回りと同じで、
速読で、くまなく目を通す。
壽崎育英財団に最後のメッセージが残っている。
「皆様、”ありがとう屋さん”です。
人生の自分流の言葉として、誰かれとなく、
“ありがとうございます”を使って下さい。
楽しい人生が待っています」
寿屋はなくなってしまったけれど、
壽崎肇にとって楽しい、
「ありがとう屋」の人生だったに違いない。
心からご冥福を祈りたい。
今日は午前中に、
林廣美先生来社。
もちろん日本の惣菜の第一人者。
林先生がNHKに出演して、
唐揚げづくりの「二度揚げ」を提案すると、
日本中で唐揚げが売れる。
85歳。
1時間半も休みなく語り続けて、
林節、いまだ健在。
商人舎ホームページで、
毎週、連載を執筆中。
「林博美の今週のお惣菜」
もう465回を数える。
その林先生、
凄いことをご提案くださった。
近々、発表する。
午後には紀文食品の皆さん来社。
私の隣から弓削渉副社長、
堀内慎也正月担当部長、
野崎理悦執行役員商品開発室長。
弓削さんが海外事業の責任者となる。
その情報交換と相談だが、
林先生にも加わっていただいて、
海外事業展開講座のようになった。
午後3時から㈱アキタフーズのお二人。
穐吉(あきよし)貴則常務執行役員(中)と、
濱敦鶏卵営業部顧問。
穐吉さんは私の中学高校の3年先輩。
三菱商事から三菱食品(旧菱食)、
それからMizkan Holdings、
そしてアキタフーズへ。
菱食時代の廣田正さんの話から、
イオンの浅田博さんのこと、
青木輝夫さんの話などなど、
私ともつながる多くの人々の話で盛り上がった。
ありがとうございました。
それにしても壽崎肇さん。
86歳で米国視察した際も、
報告を記して、3つの目標を掲げている。
①デスティネーションストアづくり
目的をもって買物に来ていただける店。
②ソリューションストアづくり
お客様の困っていることを叶える店。
③インディペンデント単独店づくり
1店1店がお客満足の店づくり。
これを100店以上つくろう。
まだまだ先を見ていた。
合掌。
〈結城義晴〉