沖縄返還50年の「自治・自立」とサンエーの52期連続増収
沖縄の施政権が返還されてから50年。
1972年の「本土復帰」は、
私が二十歳のときだった。
その沖縄には地方紙が二紙ある。
「琉球新報」と「沖縄タイムス」。
この二紙の複占状態で、
発行部数はほぼ均衡している。
二紙で90%台などと言われている。
読売、朝日、毎日、日経など全国紙も、
読まれているが、
他県と比べると圧倒的に少ない。
「新報」と言いながら、
琉球新報が一番古い新聞で、
1893年9月15日に発刊。
左派的・進歩的と言われている。
毎日、読売、産経、時事通信の支局は、
琉球新報本社内にテナント入居している。
一方の沖縄タイムスは、
戦後の1948年7月1日に創刊。
リベラル・左派で、
琉球新報と似ている。
こちらは朝日と共同通信が、
沖縄タイムス本社内に入居。
その琉球新報の社説。
「未来の沖縄 私たちの意思で決める」
「県民が復帰に込めた思いは、
基本的人権の回復であり、
平和憲法の下で
“基地のない平和な沖縄”の実現であった」
「しかし、米国は
施政権を日本に返還するが、
日本政府の同意を得て
沖縄の米軍基地の自由使用権を
手放さなかった」
「50年前の5月15日、
屋良朝苗知事は記念式典で
“沖縄がその歴史上、常に(日米の)
手段として利用されてきたことを
排除”すると述べた」
「沖縄県民には
自らの未来を自ら決める権利がある。
その権利を行使することを誓う日としたい」
同感だ。
社説は力説する。
「沖縄戦を経験した沖縄は
“軍事力で平和は実現しない”と
身にしみて知っている」
一方、沖縄タイムスの社説。
「”自治・自立”いまだ道半ば」
「復帰後、沖縄に8人の知事が誕生した。
初代の屋良朝苗から平良幸市、
西銘順治、大田昌秀、稲嶺恵一、
仲井真弘多、翁長雄志、
そして玉城デニーの各氏へ続く」
「歴代知事たちの足跡を
振り返って気付くのは、
政治的立場や手法は違っても
“沖縄の自治・自立”という
共通の課題に向き合ってきたことだ」
「復帰50年を迎える今も、
その実現は道半ばである」
沖縄の「自治と自立」
忘れてはならない。
その琉球新報4月5日版の記事。
「サンエー52期連続の増収」
商人舎流通スーパーニュース。
サンエーnews|
’22年2月期営業収益2044億円0.8%増・経常利益6.3%増
営業収益2044億円(前年同期比0.8%増)、
経常利益102億円(6.3%増)。
経常利益率は5.0%。
立派な成績だが、
52年連続増収こそ強調されねばならない。
サンエーの前身は、
創業者故折田喜作氏の「オリタ商店」に遡る。
1950年1月、沖縄県宮古島市で創業された。
そして1970年5月、
沖縄県那覇市に㈱サンエー設立。
同年7月に那覇店を出店。
経営の目的は、
第1に事業基盤の確立、
第2にチェーンストアの経営。
サンエー設立2年後の1972年、
沖縄が米国から返還された。
サンエーはこの創業以来、
52年間ずっと、増収を続けている。
凄い。
政治・行政的、経済・社会的には、
「自治と自立」が道半ばであっても、
サンエーは商業の王道を歩み続けた。
そして沖縄県民は、
その恩恵を受け続けた。
それが52期増収に表れている。
サンエーは沖縄県で、
クリティカルマスを達成している。
さらに、
サンエーnews|
27年ぶりの交代/新社長に新城専務・上地社長は相談役
そのサンエーの代表取締役社長が交代する。
27年ぶりだ。
上地哲誠社長は任期満了で相談役に就く。
折田譲治会長も特別顧問に退く。
新社長には、
新城健太郎専務取締役が就任。
田崎正仁常務取締役は、
代表権のある専務に就任する。
新城さんは53歳、
田崎さんは59歳。
頑張れ。
経営の自治と自立を貫徹せよ。
創業以来の記録を伸ばせ。
そして上地さん、
ほんとうにご苦労様でした。
もう一度、言おう。
政治・行政的、経済的には、
「自治と自立」が道半ばであっても、
沖縄県民はサンエーの恩恵を、
享受し続けた。
〈結城義晴〉