「ロシアの日」の「人を遺すを上とす」と「育てる・生かす」
6月12日は、
実は「ロシアの日」だ。
かの国の独立記念日の祝日である。
ベルリンの壁はすでに、
1989年11月9日に崩壊が始まっていた。
ミハイル・ゴルバチョフは、
1985年3月11日、
ソビエト連邦共産党書記長に就任し、
最高指導者となると、
ペレストロイカ(改革)と、
グラスノスチ(情報公開)を断行し始めた。
ロシアもウクライナ、ベラルーシも、
ソビエト連邦の傘のもとにあった。
それぞれの正式国名は、
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、
ベラルーシ・ソビエト社会主義共和国。
1990年5月、
ボリス・エリツィンが、
ロシア・ソビエト共和国の、
最高会議議長に就任した。
そして1990年6月12日。
国家主権宣言が採択された。
一党独裁の共産党主権からの脱皮である。
この国家主権宣言を記念して、
6月12日が「ロシアの日」となった。
エリツィンは翌1991年に、
ロシア・ソビエト共和国の大統領に当選する。
一方、ゴルバチョフは、
1990年にソビエト連邦に大統領制を導入して、
最初で最後の大統領となった。
翌1991年12月25日には大統領を辞任して、
連邦政府の活動を停止し、
ソビエト連邦は崩壊した。
そこですべての共和国が独立国となった。
ウクライナ共和国もこのときに、
独立国となった。
ウラジーミル・プーチンは、
このときのエリツィンの職にある。
ソビエト連邦共産党書記長は、
初代ウラジーミル・レーニン、
二代ヨシフ・スターリン、
三代ゲオルギー・マレンコフ、
四代ニキータ・フルシチョフ、
五代レオニード・ブレジネフ、
六代ユーリ・アンドロポフ、
七代コンスタンティン・チェルネンコ、
そして八代ミハイル・ゴルバチョフで、
終わった。
ウラジーミル・プーチンは、
このソビエト連邦の最高指導者ではない。
ロシアの日は、
1990年6月12日を記念した、
国家主権宣言の日である。
それが今、専制主義国家となっている。
一党独裁でもなく、
もちろん国民主権の国でもない。
独立記念の日に、
ウクライナと戦争を続けている。
なんということだろう。
朝日新聞「折々のことば」
第2407回。
「財を遺(のこ)すは下、
仕事を遺すは中、
人を遺すを上とす」
(後藤新平)
明治の政治家の言葉。
私もこのブログで何度も使った。
プロ野球監督・野村克也も、
これを口癖にしていた。
「”見つける、育てる、生かす”のが
指導者の使命だが、
これがなかなかに難しくて、
つい”自分の欲が先行して”しまう」
わかるなぁ。
編著者の鷲田清一さん。
「この格言を社会で実行できたら、
この国も世界から一目置かれる
存在となるだろうに」
〈加藤弘士著『砂まみれの名将』から〉
一方、ジョン・マックスウェル。
1947年生まれのアメリカ人。
牧師、著作家、講演者。
そのマックスウェルは、
リーダーシップには、
5つのレベルがあるという。
第1レベルは「地位」によるもの。
職位だとか役職だとか、
ある意味の権限でもある。
地位が上がれば、
リーダーシップもついてくる。
第2レベルは「 相互理解」によるもの。
人のつながりや人間関係の中から、
リーダーシップが発揮される。
第3レベルは「成果」によるもの。
一緒に仕事をする。
結果として成果が上がれば、
リーダーシップが発生する。
これはとてもいいことだ。
第4レベルが「人材育成」によるもの。
野村の「見つける、育てる、生かす」である。
人財の再生産ができる人は、
リーダーシップのレベルが高い。
最後に第5レベルは「人間性」によるもの。
高潔な人間性によって、
高いリーダーシップが発揮される。
「財を遺(のこ)すは下、
仕事を遺すは中、
人を遺すを上とす」
後藤新平も野村克也も、
第4の「人を育てる」を強調するが、
その人を遺す過程で、
尊敬される人間性も備わってくる。
プーチンとゼレンスキー。
どちらに真のリーダーシップがあるか。
人を遺すか否かを見ていればわかる。
〈結城義晴〉