安倍晋三銃撃は「幼児化と素人化」の表出である。
安倍晋三氏、逝く。
第26回参議院議員通常選挙の、
応援演説のときだった。
自民党をはじめ、
各党党首たちが、
「民主主義への挑戦」などと、
いきり立っている。
メディアもそれを主張している。
しかし山上徹也容疑者は、
民主主義など考えもせず、
恨みに思った宗教団体に関連する大物として、
安倍元首相を狙った。
歴史は得てして、
こういったつまらない理由で、
人間が殺されることを伝えている。
それよりも日本社会が、
幼児化していると私は感じる。
素人化しているとも思う。
日本にかぎらない。
世界がその方向に進んでいる。
私自身もその中にいる。
ドナルド・トランプなど、
幼児化と素人化の末の米国大統領だった。
ウラジーミル・プーチンを見ていると、
「おしゃぶり」を加えさせてみたくなる。
(これは冗談だが)
世界のトップが、幼児化している。
政治手法は素人化の域を出ない。
ごく単純な手法である。
知性の欠落である。
幼児化は、
「物事を単純に白だ黒だと決めつけて、
どちらかを一方的に攻撃する、
他人は自分の思い通りに動くものだと
思い込む」
榊原英資氏がそう定義しているし、
社会全体がその傾向をもっている。
山上容疑者は、
憎いと思ったら殺すという行為に走った。
幼児化である。
「民主主義への挑戦」と唱えるのではなく、
社会の幼児化を見つめなければならない。
一方、「素人」は、
「ある事に経験のない、専門的でない人」
「素人化」は、そんな人が増えること。
玄人やプロフェッショナルが少なくなること。
そんな未経験者が重要なポストに就くこと。
安倍元首相の警護側も、
そして山上容疑者自身も、
社会の素人化を象徴してはいないか。
それが問題だと思う。
もちろん幼児は可愛いことこの上ない。
幼児が悪いのではない。
大人が幼児のようになることが問題である。
また素人発想が、
思わぬ創造性に結びつくことはある。
だから素人を無条件に非難するものでもない。
だれでもはじめは素人だった。
しかし仕事や企業において、
幼児化と素人化が進めば、
すぐに生産性は貶められ、
経営は崩壊する。
そんなコンサルタントも増えてきた。
そんなジャーナリストも多い。
戒めねばならない。
社会の幼児化と素人化が、
安倍晋三元首相の暗殺となった。
だから安易な模倣犯が出やすい。
それを阻止しなければならない。
「仮に、われわれは、
不死なるものになれそうにないとしても、
やはり人間はそれぞれ
ふさわしいときに消え去るのが望ましい」
「自然は他のあらゆるものと同様、
生きるということについても
限度をもっているのだから」
「因(ちな)みに、人生における老年は
芝居における終幕のようなもの。
そこでへとへとになることは、
避けなければならない、
とりわけ十分に味わい尽くした後ではな」
古代ローマの政治家・哲学者、
キケロの言葉。
古代共和制のユリウス・カエサルの同時代人。
マルクス・アントニウスと対立し、
最後には追放され、殺害された。
弁舌の徒として知られる。
安倍晋三さんも、
政治家としてはまだ引退の年ではないが、
十分に味わい尽くしたことは確かだろう。
生きている時には、
片隅から一方的に、
いろいろと注文をつけたし、
批判もした。
お許しいただきたい。
しかしキケロに言わせると、
「ふさわしい時」だったのかもしれない、
とも思う。
ご冥福を祈る。
合掌。
〈結城義晴〉