小嶋千鶴子さんを「偲ぶ会」の「不正には峻・失敗には寛」
Everyone! Good Monday!
[2022vol㉚]
2022年も30週を数える。
今週は7月最終週、
来週月曜日から8月。
暑中、お見舞い申し上げる。
今日は9時半の新幹線に乗って、
新横浜から名古屋へ。
それから近鉄に乗り換えて、
近鉄四日市。
四日市の近鉄百貨店は、
駅に直結している。
なかなか、いい。
それから徒歩3分で、
アピタ四日市店。
その隣に都ホテル四日市。
小嶋千鶴子さんを偲ぶ会。
イオン㈱名誉顧問。
5月20日に、永眠された。
1916年3月3日生まれ。
106歳だった。
四日市の呉服屋・岡田屋に生まれ、
1939年5月、23歳のときに、
㈱岡田屋呉服店の代表取締役就任。
1946年に岡田卓也さんが、
あとを継いで代表取締役社長に就任。
1969年2月に3社合併で、
ジャスコ㈱設立。
小嶋さんは取締役に就任。
1972年6月には常務取締役となって、
人事を担当した。
1977年5月、
自ら60歳定年制を貫いて、
監査役に退く。
1981年5月、相談役、
1988年8月、名誉顧問。
ホテルの3階に上がって、
献花する。
単行本に載っている遺影。
笑顔。
小嶋さんの人生が写真で綴られている。
その17歳の写真。
美しい。
1946年、戦後復興を遂げた岡田屋。
小嶋さんはジャスコ大学をつくった。
その後、企業内大学院も創設した。
政策発表会では壇上から演説をした。
1997年には著書を発刊した。
名著『あしあと』
晩年は私財を投じて、
バラミタミュージアムを創設し、
同時に自ら陶芸に取り組んだ。
その作品「宇宙 金銀彩」
岡田屋時代の 店規則が陳列されていた。
講演録は商業界中部ゼミナールのもの。
あとから入れられた傍線がとてもいい。
ノートもたくさん残っていて、
メモ魔の小嶋さんを垣間見ることができる。
それから愛読書。
右上はレブハーの『チェーンストア』
私も愛読して、講義に使う。
下は「ドラッカー経営学説の研究」。
出口には、この言葉。
『あしあと』の最後のフレーズ。
その小嶋千鶴子さんの像の横で記念写真。
去りがたかった。
ほんとうにずっとここにいたかった。
帰りの新幹線から見た富士は、
ことのほか美しかった。
小嶋さんとのお別れを実感した。
帰りの近鉄電車を待つ間、
『あしあと』を読んだ。
何度も読んでいるけれど、
また読みたくなって、読んだ。
引き込まれていって、
特急のチケットを持っていたが、
その特急を乗り過ごした。
『あしあと』の中にある。
不正には峻、
失敗には寛。
「峻」は厳格であること。
「寛」は寛容であること。
つまりは、
不正に対しては厳しく、
失敗に対しては優しい。
「この言葉は、
小嶋の人事政策の背骨になっている思想」
と岡田卓也さんも偲ぶ会の冊子に書いている。
厳しさと同時に人に対する愛情を示している。
岡田さんは記す。
「現在のイオンにも引き継がれている、
重要なDNAであります」
不正には峻、
失敗には寛。
どんな会社、どんな組織にも、
これは必須のことだ。
小嶋千鶴子さん、
ありがとうございました。
では、みなさん、
今週も、厳しく、優しく。
Good Monday!
〈結城義晴〉