岸田第二次改造内閣の「好事魔多し」と「民主的な組織」
台風8号、メアリー。
日本列島に接近。
盆の入りを直撃しそうだ。
〈イメージ写真、2019/10/11〉
台風を古くは「野分(のわき)」と言った。
だから古い俳句では「野分」を使う。
吹き飛ばす石は浅間の野分かな
〈松尾芭蕉〉
浅間山のふもとを行く。
小石までが吹き飛ばされて、
すさまじい野分。
山川の水裂けて飛ぶ野分かな
〈村上鬼城〉
いずれも雄大な情景描写。
ただし「野分」は秋の季語。
そして二十四節気の暦の上では、
今はもう立秋を過ぎている。
第二次岸田改造内閣。
発足した。
〈首相官邸ホームページより〉
しかし、
「好事魔多し」
うまく進んでいるときほど、
意外なところに落とし穴がある。
ゴルフのラウンドなどで、
バーディをとったりすると、
必ずと言っていいほど、
その直後のホールで、
ダブルボギーやトリプルボギーが出る。
だからことのほかうまくいったときには、
いつも以上に注意を払う必要がある。
それはわかっているが、
過剰に注意して、
今度は消極的になり過ぎて、
それがまた「魔多し」の原因になる。
7月10日投開票の参議院議員選挙で、
自民党は圧勝した。
衆参両院で多数を占めつつ、
この後、3年間、国政選挙はない。
「黄金の3年間」
岸田文雄第27代自民党総裁自身に、
このラッキーな状況を生み出す力量が、
あったとは思えない。
しかし、安倍晋三元総理が銃撃され、
そこから旧統一教会と自民党との、
密接な「癒着」が表面化した。
選挙期間中の元首相の暗殺。
それが自民党圧勝につながったが、
その殺害者の暗殺の根拠が明らかになり、
旧統一教会と自民党との癒着が露呈した。
皮肉な巡りあわせだ。
そこで改造内閣では、
「旧統一教会との関係を見直す」と答えた者が、
閣僚に指名された。
だが「関係を見直す」というのもおかしな話だ。
霊感商法や多額の献金の強要などで、
「反社会的」団体と認識される。
その旧統一教会と関係をもったこと自体、
多額の献金を強いられたり、
霊感商法詐欺に遭ったりした人々にとっては、
許されない問題だろう。
それが首相暗殺の動機でもあった。
吉本興業の芸人たちは、
「反社会的勢力」との関係をもったことで、
例外なく放逐された。
比べると、
旧統一教会との関係を見直す、
という閣僚の基準こそが甘い。
河野太郎デジタル相兼消費者担当相。
「一般的に反社会的な団体とは、
関わりを持たないのが大原則だ。
政治家それぞれ、襟を正さなければいかん」
「一般的に」と前置きをしているが、
河野太郎も霊感商法の組織を、
反社会的団体と見ている。
「勝てば官軍」
国政選挙はとりわけて、
この意識が強い。
当選すれば、
禊(みそぎ)を済ませたことになる。
そのみそぎのために、
旧統一教会から選挙協力を受けた。
「本末転倒」だ。
高潔な政治家、
高潔な政党。
それが社会には必須だ。
しかし、
こういったときには、
ブレーズ・パスカル。
『パンセ抄』から。
「王たちの権力は、
民衆の理性と愚劣さの上に、
基礎を置いている」
「どちらかと言えば、
愚劣さの上に立つ要素が
はるかに大きい」
「王たちの権力」は、
現代では「政治家たちの権力」となる。
米国やロシアでは大統領の権力、
日本では総理大臣の権力。
中国では総書記の権力。
「この世で
最も偉大で重要なものが、
弱さを基礎としているのである」
「ところが、この基礎は、
素晴らしく確かなものだ」
「なぜなら、
民衆は弱いということ以上に、
確かなことはないからだ」
「健全なる理性、たとえば
知性の尊重といったたぐいの上に
基礎を置いているものは、
はなはだ座りが悪い」〈断章三三〇〉
現代政治も、
弱さの上に基礎を置いている。
だから民主主義は、
座りが悪い。
それでも民主主義しかない。
会社組織も、
小売業やチェーンストアも、
デモクラティック(民主的)である。
つまり弱さの上に基礎を置いている。
そう考えて、
そこから出発する。
これしかないのだ。
これでいいのだ。
大いなるものが過ぎ行く野分かな
〈高浜虚子〉
野分を前に考える。
これがいいのだ、
これしかないのだ、と。
〈結城義晴〉