77度目の「終戦の日」の日本の「近代と現代」
Everyone! Good Monday!
[2022vol㉝]
2022年第33週、
8月第3週。
今日の8月15日は、
77回目の終戦の日。
慶應4年9月8日から明治元年となった。
新暦の1988年10月23日だった。
それから明治、大正、昭和と元号が変わり、
太平洋戦争の終戦の1945年までが77年間。
それからまた平成を経て、
令和4年の今年を迎えた。
かの大戦から77年が経過して、
終戦の日を迎えた。
日本の「近代」は、
明治維新から終戦までのことを言う。
つまり77年間。
それからが、
「現代」となるが、
その現代も77年が過ぎて、
近代と同じ年月を経過した。
そろそろ「ポスト現代」が現れるころだ。
「現代の次」が考えられねばならない。
それこそが、
「新しい資本主義」なのかもしれないが、
まったく見えてはこない。
時代は進んでいない。
むしろ後退している。
日本だけの所為ではないけれど。
今日はそれを自覚する日だ。
朝日新聞「折々のことば」
第2466回。
人間が二人集まります。
力は倍になります。
しかし、
責任は半分になったと
感じるのです。
(なだいなだ『人間、この非人間的なもの』から)
「強制収容所では人を番号で呼ぶ。
動物を食する時は”肉を食べる”と言う」
「こういう”抽象化”によって
人は自らの残虐性に鈍感になる」
凄い観察と指摘だ。
著者は1929年、東京生まれ。
2013年逝去。
慶応義塾大学医学部卒業、
精神科医、作家。
ペンネームは、
スペイン語の “nada y nada”からとった。
意味は「何もなくて、何もない」
ときに「抽象化」は人間を、
自らの残虐性に鈍感な存在にする。
「組織の中に入るというのも同様で、
人は個人としては消え、役割になる」
そうすると、
「役割を認識せよ」と強調し過ぎると、
「個人を捨てて、残虐になれ」と、
なりがちだ。
気をつけねばならない。
「そして個人の肉体に内蔵された
攻撃と抑制の二つのスウィッチのうち、
後者がきちんと働かなくなる」
戦争は、
「抑制のスウィッチ」が、
まったく利かなくなって起こる。
元はと言えば、
人間が多数集まって、
力は何億倍になって、
その分、一人ひとりの責任が、
何億分の1になったと感じるところにある。
だから組織構成員が少ないほど、
ドラッカーの言う「責任の組織化」が、
強く機能することとなる。
組織における責任の問題と、
抽象化の行き過ぎは、
よくよく注意せねばならない。
ドラッカーはこれを、
「エントロピーの法則」と呼んだ。
組織は放置しておくと、
すぐに陳腐化する。
やがて官僚化し、
茹でガエルと化し、
大企業病となる。
今日は東京・小平。
第一屋製パン㈱へ。
恒例の取締役会。
パン工場はお盆でも稼働する。
だから役員会も休まない。
パンの製造において、
国際的な小麦の値上がりは、
大きな問題だ。
小麦の輸入価格が上がると、
パンの値段も上がる。
何といってもパン好きの消費者が困る。
小売業の販売にも影響する。
パンにかぎらない。
パスタやピザも、ラーメンも菓子も、
多くの食品が値上げされる。
そこで政府は、
輸入小麦価格を据え置く措置をとる。
今夜のNHK「ニュースウォッチ9」。
細貝正統(まさのり)社長が、
NHKのインタビューに答えた。
まったく偶然に、この番組を見ていた。
落ち着いてしっかりと答えて、
頼もしく感じられた。
明日は盆の明け。
そして一般の人たちは、
仕事が始まる。
小売業も日常に戻っていく。
では、みなさん、今週も、
落ち着いてしっかりと。
Good Monday!
〈結城義晴〉
2 件のコメント
「エントロピーの法則」と呼んだ。
組織は放置しておくと、
すぐに陳腐化する。
やがて官僚化し、
茹でガエルと化し、
大企業病となる。
わが社も以前に「大企業病」のようになった時期があります。
ほんとに人間は困ったものです。
まだまだ勉強ですね!
宮本さん、ありがとうございます。
だからトップはいつも、
変化を誘導しなければなりません。
たいへんですね。