伯母の葬儀の伯父の「ナマンダブ」
羽田空港。
朝8時の便で福岡へ。
飛び上がると雲の間から東京湾が見えた。
そして巨大な東京の街。
東シナ海に台風11号があって、
日本列島も雲に覆われている。
1時間半で玄界灘。
そして博多湾。
志賀島(しかのしま)と海の中道。
砂州によって本土と陸続きになった陸繋島。
博多港。
高速道路と幹線鉄道路。
福岡も巨大な街になった。
福岡空港に降り立つ。
私の生まれ故郷。
空港で「やりうどん」。
長いごぼうの天ぷらが、
槍に見立てられている。
うまい。
結城ヱミ子伯母の葬儀。
9月2日、私の誕生日に亡くなった。
93歳だった。
子どものころから、
たいへんに世話になった。
福岡に帰るたびに、
早良の家に泊めてもらって、
手料理でもてなされた。
葬儀は粛々と進み、
浄土真宗の「南無阿弥陀仏」の読経のなか、
焼香して合掌した。
それから火葬場で見送った。
結城信行伯父。
かつて町会議員を務めた、
博識の97歳。
いまやただ一人生き残った、
結城家の長老。
驚くほどの記憶力で、
一族のことを語り続けた。
私の父結城義登は年子の弟。
2014年11月4日に逝った。
米寿だった。
「義ちゃん、義ちゃん」と呼んで、
父のことを自慢げに話してくれた。
大戦が終わって、
伯父はシベリアに抑留された。
その厳しい抑留が終わるころ、
本当に珍しいことに、
缶詰が支給された。
若い兵士が、
その缶詰を開けようとした。
しかし手がぶるぶる震えて、
開けられない。
寒さと喜びと緊張が、
缶切りで缶詰を開ける行為さえ、
阻んでしまったのだ。
伯父が代わって、
「ナマンダブ、ナマンダブ」と唱えながら、
缶切りを動かすと、
すんなりと缶詰が開いた。
「ナマンダブ」は万能だ。
伯母との最後のお別れのときにも、
「ナマンダブ、ナマンダブ」と唱えた。
最後に拙著を渡すと、
大切そうに鞄に入れた。
『コロナは時間を早める』
ありがとうございます。
帰りは18時の便。
飛び上がると陽が沈んだ。
私は月刊誌の最終段階を迎えている。
行きも帰りも、機中で原稿を手直しした。
そして貴重な原稿が出来上がった。
「ナマンダブは万能だ」
93歳の伯母の逝去。
大往生だと思う。
そして、
97歳の伯父の「南無阿弥陀仏」。
万能のナマンダブに、
合掌。
〈結城義晴〉