「欠点なき店よりも特徴ある店を」倉本長治
私の机の周辺にある書物の数々。
それらをパラパラをめくりながら、
一日のある時間帯を過ごす。
これは至福のときだ。
福澤諭吉、
松尾芭蕉。
ランボー、
アラン。
そして倉本長治「商訓五十抄」
発行人は結城義晴。
「欠点なき店よりも特徴ある店を」
人間にも完全な人格者というのは無い。
お互いに諸々の欠点を
背負って生きているのだが、
商店においても同様である。
その欠点を恥じることはない。
むしろ恥ずべきは何等(なんら)、
これといって特徴のない姿である。
商店がお客を惹き付ける魅力は、
ことごとくこの、
特徴のいかんによるのであって、
ソレがどんな特徴でもよいから、
他店と断然違うという
独自の性格を打ち樹(た)てよ。
値段ではヒケをとらぬとか、
常に眼新しい品が揃っているとか、
店そのもののムードが、
他店と異なるとかいう風なものでよい。
その特徴が店の欠点である場合にさえ、
小売店というものは、
ソレを繫昌の要素とすることが、
出来るからである――。
これはポジショニングを言い当てている。
人間の欠点、
その集団や組織の欠点。
店の欠点。
売場の欠点。
商品の欠点。
サービスの欠点。
それらさえも、
自らの特徴として、
繁昌の要素とすることができる。
商売は人間そのものだ。
そして商売は素晴らしい。
私の「ポジショニング戦略」も、
この長治先生のごとく、
平易に語られねばならない。
反省しつつ、感謝。
〈結城義晴〉