中部銀次郎の「神髄」とフランシス・ベーコンの「帰納法」
紅葉の中のゴルフ。
いい日だった。
ラウンドするときには、
中部銀次郎を思う。
「起こったことに
鋭敏に反応してはいけない」
名言だと思う。
「ミスよりもっと恐ろしいのは、
ミスしたあとの精神状態が、
劣悪になることです」
ゴルフではミスがミスを呼ぶ。
それで大たたきする。
「精神が異常になるから
“心の復元力”がなくなる」
中部銀次郎さんは、
1942年生まれ、2001年没。
中部利三郎氏の三男として生まれる。
父は大洋漁業(現マルハニチロ)副社長で、
その祖業の林兼産業社長だった。
祖父はその大洋漁業創業者の中部幾次郎氏。
銀次郎は身体が弱かった。
そこで父利三郎氏にゴルフを薦められて、
小学生のころからプレーし始めた。
甲南大学2年生の1962年、
20歳5カ月の当時史上最年少記録で、
日本アマチュアゴルフ選手権に初優勝。
その後も、1964年、1966年、1967年と三連覇、
さらに1974年、1978年にも優勝して、
史上最多の6勝を挙げた。
今ならばすぐにプロ入りしただろうけれど、
生涯アマチュアを貫いて、
「孤高のゴルファー」となった。
ゴルフに関する本を多数書いていて、
それらは「人生訓」ともなっている。
私はほとんどを読んでいる。
59歳で亡くなったが、
その短い人生に凝縮された精神は、
いつ読んでも胸を打つ。
「自分の実力を過大評価するより、
過小評価しておいたほうが、
波の少ないゴルフができる」
これは経営や仕事にも通ずる。
「”過大”には
思い上がりがあるけれど、
“過小”には謙虚さがある」
小売業の経営者で言えば、
ダイエーの創業者中内功さんは、
“過大”をバネにして大を為したが、
イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さんは、
“過小”を貫いて現在のトップ企業をつくった。
ゴルフには伊藤さんのほうが向いている。
私はときどき、中部銀次郎を忘れる。
そして悲惨な結果を招く。
なぜだろう。
いつもそれを思い知らされる。
朝日新聞「折々のことば」
第2547回。
「正気を失わずに、
ただ信仰に属するところのもののみを
信仰にゆだねるなら、
それはたいへん健全である」
(フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』から)
表題の言葉よりも、
追加されたこちらがいい。
「経験より先に概念に合わせること、
少数の例から推し量ること、
密(ひそ)かに虚妄を忍び込ませること。
この三つが人の思考を歪(ゆが)める」
編著者の鷲田清一さん。
「とくに第三の点は、
社会生活についてもいえよう」
思考を歪めるものが三つある。
第1に経験より先に概念を合わせる。
これはピーター・ドラッカーも指摘することだ。
「実践に先行する理論はない」
第2は少数の例から推し量ること。
ベーコンはアリストテレスを批判した。
ギリシャの哲人の著作『オルガノン』に対して、
『ノベル・オルガヌム』をラテン語で書いた。
少ない例から考察して、
演繹法で原理を導き出すことは、
間違いだという指摘である。
ベーコンは帰納法を薦めた。
第3は密(ひそ)かに虚妄を忍び込ませること。
「虚妄」は真実ではないこと、嘘や偽り。
それを密かに忍び込ませる。
これによって議論を捻じ曲げたりする。
「嘘も方便」と言ったりする。
それが正しい思考法を歪める。
素朴な実感やわずかな経験をもとに、
そこから一般原理らしきものを設けて、
さらに論理的な演繹法によって、
考えを進める。
それは人間の実際の生活や仕事に、
役立つものにはならない。
ドラッカーもヘンリー・ミンツバーグも、
アンリ・ファヨールを否定した。
それはフランシス・ベーコンの考えと同じだ。
いやベーコンを知っていたから、
ファヨールを否定できたのだ。
鷲田さん。
「”カエサルの物はカエサルに、
神の物は神に”と、
マタイの福音書も記す」
中部銀次郎も、
数多の経験から得たものを、
帰納法によって記した。
「ゴルフの神髄」として、
「ゴルフの要諦」として、
「中部銀次郎のゴルフ」として。
それらを忘れてはいけない。
〈結城義晴〉