エジルとエムバペとメッシの「ふたつの文化を誇りに思う」
日曜日の雑記帳。
中日新聞の巻頭コラム、
12月15日の「中日春秋」
「勝てば僕はドイツ人で、
負ければ移民」
元ドイツ代表のメシル・エジルの言葉だ。
トルコ系移民三世。
ドイツ西部の町に生まれ、
2006年、18歳の時に、
ブンデスリーガのシャルケでプロになる。
その後、ヴェルダー・ブレーメンから、
2010年、リーガエスパニョーラの、
レアル・マドリードに移籍。
背番号10をつけた。
さらにイングランドのアーセナルで活躍。
ここでも背番号はエースナンバー10だった。
ワールドカップは、
2010年南アフリカ大会で、
ドイツ代表として3位に貢献、
2014年、ブラジル大会では、
ドイツの4回目の優勝に貢献。
2018年は予選グループリーグで最下位。
そのドイツ敗退の戦犯とされた。
このときの言葉が、
「勝てばドイツ人、負ければ移民」だ。
「フットボールのモーツァルト」
「ドイツのメッシはエジルだ」
称賛の言葉は数限りない。
エジルは、リオネル・メッシよりも1歳年下だ。
コラムニスト。
「いい時は英雄視されても
悪い時は差別的中傷にさらされる」
しかしその移民が、
その国のチームのカギを握っている。
今回のW杯の準決勝二試合目、
フランス対モロッコ。
フランスはアフリカ系選手を多数擁する、
移民大国である。
キリアン・エムバペは、
父がカメルーン出身、
母はアルジェリア系フランス人だ。
モロッコは逆に、
欧州各国で生まれた自国系選手を、
代表に呼び戻してベスト4へ。
エジルは言う。
「ドイツ人にもトルコ人にも
よき友人がおり、
“おまえはドイツ人かトルコ人か”と
問われるのが本来、好きではない」
「ふたつの文化を誇りに思ってもいいはずだ」
その通り。
World Cupにはまっている。
こんなに丁寧に、
すべての試合を観戦したのは初めてだ。
なぜだろう。
日本代表が決勝トーナメント初戦に敗れても、
なぜか見続けている。
その日本代表は2050年には、
ワールドカップ優勝を目標にしているとか。
そのときにはメッシやエムバペのような、
そしてエジルのような、
圧倒的な選手が必須だ。
一人でゲームを変えてしまうような存在。
それは移民から登場するにちがいない。
私はそう確信している。
たとえばテニスの大坂なおみ、
野球のダルビッシュ有、
陸上のサニブラウン・ハキーム。
卓球の張本智和も、
両親は中国からの移民だ。
エジルのように、
「ふたつの文化を誇りに思う」
これこそダイバーシティの本質である。
FIFA World Cup Qatarを、
驚くほど熱心に見てしまうのも、
サッカー自体の面白さはもちろんあるが、
この多様性の可能性を感じているからだろう。
リオネル・メッシも、
四代前のアンジェロ・メッシは、
イタリア移民のアルゼンチン人だった。
母セリア・クッチティー二も、
イタリア移民の子孫である。
サッカー王国の南米は、
考えてみれば移民ばかりの大陸だ。
「ふたつの文化を誇りに思う」
ひとつの文化にこだわるところから、
抜け出さない限り、
World Cupの強豪国にはなれない。
小売業やチェーンストアも、
日本の、たとえば近江商人の文化と、
アメリカの文化の融合によって発展した。
現代のアメリカ経済人でも、
大成功を収めているのは、
移民ばかりだ。
融合のパワーが世界を切り拓く。
そしてアメリカもヨーロッパも、
移民を前提とした国々ばかりである。
「ふたつの文化を誇りに思う」
羨ましいほど豊かな心の在り方である。
〈結城義晴〉