「送り手と受け手」「売り手と買い手」のトレードオンの時代
2023年のカウントダウン。
あと3日。
今年の夏には、
新型コロナ感染第七波がやってきた。
1日26万人超の新規陽性判明者が出た。
しかし政府や自治体から、
行動制限は発せられなかった。
ワクチン効果が出た。
飲み薬も開発された。
重症者が激減した。
この年末年始の帰省や旅行も、
制限はない。
昨年、一昨年に比べると、
まったく異なる年末年始。
しかしこれが当たり前の姿だ。
こうしてウィズコロナの時代に入っていく。
感染拡大防止と経済活性化が、
同時に行われる時代だ。
いわば「両利き」の時代。
ほぼ日の糸井重里さん。
毎日エッセイを書く。
9月18日の「今日のダーリン」
「受け手と送り手。
消費者と生産者。
口説かれる人と口説く人。
教わる人と教える人」
近江商人は、
売り手と買い手に分けた。
そして言い切った。
売り手良し、買い手良し。
「子どものうちは、
受け身の経験をくりかえしているが、
社会に出ると、
両方のことをするようになる」
「服を買う人が、
アイスクリームを売っている。
電車に乗っている人が、
タクシーを運転している」
糸井さんのたとえ話、秀逸。
「送り手の経験を
しっかり感じている人は、
受け手になったとき、
送り手のことも想像する」
「受け手として
いろいろ感じている人は、
送り手になったとき、
受け手を想像して工夫する」
「それが、うまく循環していたら、
いろんなことがもっと
いい感じになっていくのだろうが、
なかなかそうはいかない」
上手く循環させることができるのが、
いい商人だ。
鈴木敏文さんは、
「お客の立場で考えよ」と説いた。
「お客のため」ではだめだと言った。
口ではお客のため、と言いつつ、
お客の立場に立って考えない。
そんな商人が多かったからだ。
つまり受け手の立場に立って、
送り手となる。
買い手の立場に立って、
売り手となる。
「あっち向きの〈→〉か、
こっち向きの〈←〉か、
同じ人のなかに
両方あるんだってことだけど、
どっちかにいるときには、
反対側のじぶんを忘れちゃう。
向こう側にも、
じぶんはいるんだよ」
向こう側に自分がいる。
それが向こう側の立場である。
「大人になると、じぶんが
子どもだったことを忘れちゃうし、
子どものうちは、じぶんが
大人になると思っていない」
「じぶんが若いうちは、
年寄りは引っこんでろと言い、
年寄りになると、
若いものはなんにもわかってないと言う」
「もれなく、どっちにもなるんだってば!」
「こっちから
反対側だと思っているものは、
反対側からしたら
こっち側なんだってば」
「あっちと、こっちは、
どっちもなんだ」
カリフォルニア大学のリテール研究の権威、
故デルバート・J・ダンカン教授。
『マス★カスタマイゼーション』で、
故杉山昭次郎先生が紹介している。
小売業マーチャンダイジングを説明する。
「製造業のマーケティングとほぼ
同じような意味を持たせて使うことが多く、
バイイング・アンド・セリングの内容が主体である」
すなわちマーチャンダイジングは、
「バイング & セリング」である。
マーチャンダイジングは、
買い手と売り手のそれぞれの役割を、
融合したものなのだ。
「考えるのをかんたんにしたほうが、
わかりやすいけど。
あっちとこっちの間に
線を引いたほうが考えやすいけど。
おそらく線を引いちゃいけないんだ」
トレードオフのほうが簡単だし、
わかりやすい。
けれどトレードオフばかりではいけない。
「受け手で送り手。
消費者で生産者。
口説かれる人で口説く人。
教わる人で教える人」
「&」で行ったり来たりさせてみたい。
この考え方を、もっと
とろりとろりと煎じ詰めてみたい。
私も来年のテーマを、
同じような内容にしている。
このブログや月刊商人舎は、
送り手であって、受け手でもありたい。
情報や知識の生産者であって、
消費者でもありたい。
受け手の達人は、
送り手のプロである。
生産や製造の玄人は、
消費の名人である。
ここはトレードオフではいけない。
トレードオンがいいのだと思う。
売り手であって、
買い手でもある。
どちらもわかる、そんな存在こそが、
世間なのだと思う。
それを忘れてはいけない。
ウィズコロナの「両利き」の時代だからこそ、
いつも自戒していたい。
〈結城義晴〉