天皇誕生日の司馬遼太郎の「衝突の経験」
天皇誕生日の祝日。
10代のころは生意気盛りで、
天皇を軽視するところがあった。
今は、日本に天皇制は必要だと考えている。
ただしその必要性については、
国民一人ひとりの理解が、
もっと深まることが求められる。
だから天皇誕生日も祝日でいいと思う。
参賀に行くつもりはないが。
1960年生まれの今上天皇は8つ年下。
学年で言えば7つ下だ。
象徴天皇としてのお役目を、
よく理解していて、素晴らしい。
イギリス王室などと比べると、
その在り方は凛としていて、
日本の天皇にふさわしい。
その天皇誕生日。
ずっと家にいて、
自室でぼんやりと、
原稿など書いている。
パソコンに向かってはいるが、
つまりは構想などを練っている。
司馬遼太郎さんが、
『坂の上の雲』を書いていた時の話。
1970年7月、いつものように
みどり夫人と散歩に出かけた司馬さんは、
交通事故にあった。
みどりさんの『司馬さんは夢の中1』
「むこうから走ってきた車に撥ねられて、
道路脇の大きな石に思いっきり頭をぶつけた」
眉間を切るほどの怪我で、
失血はあったが幸いに軽傷で済んだ。
むしろ後遺症はみどりさんのほうにあった。
見舞客や電話の応対で声が出なくなり、
事故の瞬間の衝撃が心に残って
震えることもあった。
司馬さんはみどりさんに言った。
「ひょっとして、頭、打ったのは、
俺ではなくて、お前だったんじゃあないのか」
みどりさんは本の中でまとめる。
「事故に遭ったとき、司馬さんは、
ずっと『空海』のことを考えながら
歩いていたのですって。
それにしては、私とあんなに喋り、
あんなに笑っていたのに、
いったい司馬さんの頭の仕組みは、
どうなっているのでしょうね」
司馬さんほど立派なものではないが、
ぼんやりと書いているというのは、
こんな状態のことだ。
その司馬さんは車だけでなく、
いろいろな人とぶつかっている。
1951年11月の新聞記者時代。
福田定一記者(司馬さんの本名)は、
取材記者の一人として、
京都府水産試験場にいた。
昭和天皇は京都巡幸の際、
この水産試験場を訪れた。
エッセー『権力の神聖装飾』より。
「天皇は背をまげ、陳列ケースに
度のつよい近視のめがねを近づけて
説明にうなずいておられた」
この時代、取材記者もかなり接近できた。
司馬さんは昭和天皇の間近にいた。
「私は元来ボンヤリしている人間だから、
なにかほかのことでも考えて
天皇に注意をはらわなかったのかもしれない」
説明を聞き終わった昭和天皇が、
方向転換しようと、急に体の向きを変えた。
「そこに私が物体として立っていた。
当然、ぶちあたった」
突然のことによろけた司馬さん、
おもわず、言った。
「失礼!」
昭和天皇は左に90度の旋回運動中で、
よろけることなく、
表情の変化も見せなかった。
「私には拝謁の経験はないが、
衝突の経験はある」
(週刊朝日2015年6月26日号より)
面白い。
さて朝日新聞「折々のことば」
第2652回。
本当に面白い本は、
どのコーナーに置いてよいか
わからない本です。
〈元大型書店長・福嶋聡(あきら)〉
「リアルな書店の魅力は、
思いも寄らない本と出会えること」
「売上げデータに縛られ、
売れ筋ばかり並べれば
書店はみな同じ表情になる」
福嶋は憂う。
今や本はアマゾンで買うもの。
本屋の存在感はどんどん薄れている。
消費財の商品もネット販売が進む。
だから売れ筋ばかり並べるのではなく、
店独自の商品が欲しい。
それがポジショニングである。
「未知の発想はすぐには分類できぬもの。
大型書店は“欲望や格差の増幅器”ではなく
“社会の変革器”であるべきだ」
(朝日新聞デジタル2月14日、「本屋ないと本当に困る?」)
司馬遼太郎の書著は、
小説であって、歴史書であって、
啓蒙書であって、哲学書である。
書店もどこにおくのがいいのかわからない。
私がぼんやり書こうと思っているのも、
そんなものだ。
天皇誕生日にぼんやりと考えた。
夜まで書き終わらなかったけれど。
〈結城義晴〉