「6月のこの瞬間」と「あすへの希望」
6月11日の日曜日。
久しぶりにゆったりしている。
2020年のコロナ禍以降の3年間、
6月11日にはずっと日本にいた。
コロナ、コロナで時間が過ぎていった。
2021年2月号のMessageには、
こんなことを書いた。
あすへの希望
新型コロナのおでましだ。
新型コロナのおとおりだ。
そうして一年、すぎました。
そうして一年、ゆきました。
ちいさな喜び、つくります。
ささやかな幸せ、ご提供。
あすへの希望、つむぎます。
そうして一年、ゆきました。
雨が、あがって、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
そうして一年、すぎました。
そうして一年、ゆきました。
ちいさな喜び、つくります。
ささやかな幸せ、ご提供。
あすへの希望、つむぎます。
そうして今日が、おわります。
それが私のしごとです。
それが私のやくめです。
そうして今日が、はじまって、
そうして今日が、おわります。
新型コロナの行く手には、
まだまだ、深い、ため息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、つかめない。
だれにも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだろうぢゃないですか。
けれども、それは、示(あ)かせない……
新型コロナのおでましだ。
新型コロナのおとおりだ。
そうして一年、ゆきました。
そうして一年、すぎました。
ちいさな喜び、つくります。
ささやかな幸せ、ご提供。
あすへの希望、つむぎます。
そうして今日も、おわります。
コロナ禍前の2019年の今日は、
イタリアのミラノにいた。
その前の2018年の今日は、
シアトルにいた。
ゴーゴーポーズを流行らせていた。
その前の2017年の6月は、
ドイツのフランクフルトにいた。
メトロのキャッシュ&キャリー。
その前の2016年は上海に行った。
マネジャーたちにインタビューした。
私にとって6月は、
海外に行く月だった。
ヨーロッパやアメリカの6月は、
実にさわやかだ。
「ジューンブライド」という言葉がある。
6月の花嫁。
これもヨーロッパの6月を知っていれば、
納得するだろう。
「人々の眼、
闊歩、足踏み、とぼとぼ歩き、
怒号と喧騒(けんそう)、
馬車、自動車、バス、荷車、
足を引きずり体をゆすぶって歩く
サンドイッチ・マン、
ブラス・バンド、手風琴(てふうきん)、
頭上を飛ぶ飛行機の
凱歌とも鐶(かん)の音とも
奇妙な高調子の歓声とも聞こえる爆音、
こういうものをわたしは愛するのよ。
人生を、ロンドンを、
六月のこの瞬間を」
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』)
ヴァージニア・ウルフは、
19世紀のイギリスの女性作家。
6月のロンドンもパリも、
素晴らしい。
日本では梅雨の時期にあたる。
二十四節気では、
6月6日(火曜)の芒種を過ぎて、
夏至に向かう。
芒種は種を撒くころのこと。
寺山修司。
種子
きみは
荒れはてた土地にでも
種子(たね)をまくことができるか?
きみは
花の咲かない故郷の渚(なぎさ)にでも
種子をまくことができるか?
きみは
流れる水のなかにでも
種子をまくことができるか?
たとえ
世界の終わりが明日だとしても
種子をまくことができるか?
恋人よ
種子はわが愛
1935年生まれ、
1983年没。
47歳だった。
歌人、俳人、詩人、そして劇作家。
よくよくあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死なない限り、
それはただの一粒のままである。
しかし、もし死んだならば、
豊かに実を結ぶようになる。
( 「ヨハネによる福音書」第12章24節)
寺山は、
荒れはてた土地や、
花の咲かない故郷の渚や、
流れる水のなかにも、
種子をまいて、
豊かに実を結ばせた。
6月はそんなときだ。
6月のこの瞬間を、
私たちは愛するのだ。
〈結城義晴〉