夾竹桃の花が咲いた。
夾竹桃の花が咲いた。
キク類キョウチクトウ科の常緑広葉樹。
花は6月から9月に咲く。
強い経口毒性がある。
花、葉、枝、根、果実すべての部分、
それから周辺の土壌にも毒性が生じる。
腐葉土にしても1年間は毒性が残る。
さらに生木を燃やした煙も有毒である。
それでも乾燥や大気汚染に強い。
工業地帯や市街地の緑化に、
街路樹として利用される。
燃えにくいうえに火に強い。
したがって防火樹としても活用される。
広島市は原爆投下で焼け野原になった。
75年間、草木も生えないとさえ言われた。
しかし被爆焼土に夾竹桃はいち早く咲いた。
そこで復興のシンボルとなり、
広島市の花に指定されている。
夾竹桃の二面性。
こういった二面性は、
どんなものにも確かに存在する。
「犬が人を噛んでもニュースにならないが、
人が犬を噛んだらニュースになる」
よく言われることだ。
「珍しいことがニュースになるというのは、
当たっている」
「当たり前のことは、
わざわざ言う理由がないからだ」
私たちもニュースを記事にするときには、
それが珍しいからだ。
新店オープンは珍しい。
既存店改装も珍しい。
普通の店の毎日の売場は、
珍しくはない。
「ということは、
黒いものばかりが目立つのが、
ニュースであったり、
みんなの読んでいる
ネットの世界なのだとしたら、
実際の、当たり前の社会は、
ほとんどが白いということだ」
「こんなに悪いやつがいましたよ」
「みんなこんな汚いことを考えてますよ」
そんな情報がやたらに目につくかもしれない。
毎日のように報道される。
「けれど、それは、
めずらしいことだから目に入る、
ということだ」
その通り。
「めずらしく見える話題が
目立っているだけで、
ほとんどの犬は人を噛んでいないし、
ほぼすべての人は
犬を噛んだりなんかしていない」
お店はそんな珍しいことばかりでは、
できあがっていない。
お店は当たり前のことでできている。
「最近ではみんなやってますよ」
というようなことは、
「ほとんどのみんなはやってない」
と思ったほうがいい。
「これ、売れてますよ」
という決め台詞。
ほんとうに売れている品だけにしたい。
「ごくごくふつうの人は、
悪いことをしたがらないし、
それほどバカじゃないし、
ちょっとやさしい」
「そのくらいに思っているのが、
ちょうどいいのだと思う」
ごくごく普通の人が、
ごくごく普通の店をやっていて、
ごくごく普通のお客様を迎える。
けれどとても感じがいいだとか、
とても親切だとか、
ちょっと気が利いているだとか、
そんなところで顧客と接点をもつ。
それがいいお店というものだ。
「悪いことをするにしても、
バカであることにしても、
ちょっといじわるであることにしても、
それは、”じぶんと同じくらい”だと
思っていればいい」
「こんなことを言ってると、
底の浅い、こどもっぽい考えだと
思われるかもしれないけれど、
こう思ってたほうが圧倒的に
生きやすいとも言えるのだ」
「”ご町内”は”暗黒街”じゃぁないんだからさ」
そうアルカポネ時代の禁酒を売る酒屋ではない。
そして糸井のいつものキメの言葉。
「”人間は人間を好きでいたい”、
そのほうが生きやすいから」
生きやすいからだけではない。
人間を好きな店であることが、
店が存在する最大の理由になる。
夾竹桃だって、
中毒の事例はわずかしかない。
1877年の明治10年。
西南戦争のときの官軍の兵が、
折った枝を箸代わりに利用して、
中毒した。
1980年、千葉県の農場。
牛の飼料の中にキョウチクトウの葉が混入した。
乳牛20頭が中毒を起こし、
そのうちの9頭が死んだ。
2017年、香川県高松市内の小学校。
校庭に植えられたキョウチクトウの葉を
3枚から5枚食べた2年生の児童2人が、
吐き気や頭痛などの中毒症状を起こした。
中毒事例はこれくらいだ。
夾竹桃はヒロシマのシンボルだ。
そのほうが大切なことなのだ。
〈結城義晴〉