三浦紘一さん「お別れの会」とニチリウバイヤー研修6時間講義
青森県八戸市。
故三浦紘一さんの、
お別れの会が開かれた。
㈱ユニバース会長。
今年4月13日に逝去された。
享年85。
山本恭広商人舎編集長が、
私の代理として参列してくれた。
ユニバースのルーツは、
三萬呉服店である。
紘一氏の祖父三浦萬吉氏がその呉服店を、
昭和9年(1934年)に三萬百貨店に変えた。
八戸初のデパートだった。
終戦後、米軍に接収されたが、
1952年、㈱三萬に社名変更。
社長には紘一氏のご母堂・萬喜さんが就任。
萬喜さんの長男として生まれた紘一氏は、
青山学院大学を卒業後、三萬に入社。
1年で低価格化とセルフサービス化を断行。
1967年、姉妹会社としてユニバースを設立。
自ら社長に就任した。
そして同年、1号店の小中野店をオープン。
それがユニバースの誕生だった。
それ以来、
「Customers,our Priority」の考え方を貫いた。
三浦さんは教育に熱心だった。
「成長のために人を育てる」
商人舎の研修にも、
多くの幹部や社員を派遣してくれた。
もちろん自分でも勉強した。
アメリカで学ぶことも大好きだった。
私が㈱商業界の社長のころ、
アメリカ研修に参加してくださった。
三浦さんに団長になっていただいた。
成田から団員とともにダラスに着いたとき、
団長は一人、先乗りして、
この都市圏を学んでいた。
自ら「流通用語集」も編纂した。
手書きの校正が残されている。
言葉を大切にした。
はじめに言葉ありき。
言葉は神とともにあり。
言葉はすなわち神なりき。
〈ヨハネ福音書〉
凄い経営者だった。
心からご冥福をお祈りしたい。
今日は
2023年ニチリウグループバイヤー研修。
日本流通産業㈱主催。
全国の加盟企業から11社42名が参加。
日本流通産業は、
通称ニチリウグループ。
1974年に共同仕入れ機構として創業。
来年、創業50周年を迎える。
当初は、平和堂、オークワ、さとう、
ライフコーポレーションなど7社で設立された。
初代社長は平和堂の故夏原平次郎さん。
現在は18社で構成され、
加盟企業の総店舗数は2000店に及ぶ。
その総売上高は3兆2000億円規模。
現在の社長はオークワ社長の大桑弘嗣さん。
司会の酒井幸男さんが、
初めにニチリウグループを紹介。
総務管理部部長。
スライドや動画で歴史を示し、
くらしモアブランドのリブランディングなどを紹介。
はじめにスライドで、
「コロナは時間を早める」
コロナによって、
経営や消費はどのように変化したのか。
そして何が早まったのか。
だから第一部の理論編は、
「バイイングはマーケティング」がテーマ。
バイヤーは、
マーケティングの基礎くらいは、
知っておかねばならない。
世界中のビジネスマンが常識としている、
マーケティングの位置づけから、
マーケティング4.0までの発展段階、
そしてマーケティングマネジメントの概要、
コモディティ化現象までを、
コンパクトに解説。
第二部の実践編は、
「バイヤーズマニュアル」
チェーンストアにおける、
バイヤーの位置づけと役割。
そしてバイイングの基本、
バイヤーの行動。
バーチカルマーチャンダイジング、
プライベートブランド、
サプライチェーン・マネジメント。
PFグラフを使ったストアコンパリゾン。
その具体的な注意点などを指摘する。
10時半から17時半まで、
昼食休憩などを挟んでの6時間の講義。
日本流通産業㈱専務の田淵寿さん。
課題をテーマに今日と明日、
ディスカッションして、
最後に班ごとに発表してもらう。
午後7時から、
ホテルのレストランを借り切って、
夕食懇親会。
グループに分かれて交流する。
私は事務局と同席。
酒井さんと松吉佐知子さん。
大阪の長い一日だった。
三浦紘一さんの言葉。
「店にとって何が大事か、
企業にとって何が大事か。
価格政策はどうあるべきかと言えば、
価格を第一にして成立できる企業は、
ひょっとしたら日本中で、
1社だけになるかもしれない。
何十年かしたら世界中で、
1社だけになるかもしれない」
「だから、価格を第一にというのは、
やるつもりはない」
「しかし、
スーパーマーケットができ上がったときから
価格は重要な要素だったし、
今でもそうです」
「安さは大事にしていかなければいけない。
だけど価格だけではだめだと思っています」
講義をしながら、
この言葉をかみしめていた。
合掌。
〈結城義晴〉