大谷翔平「働きがいのある企業100」のドジャースへ
移籍先が決まった。
ロサンゼルスドジャース。
やっぱり。
でも、良かった。
歴史のある球団だ。
1884年、ブルックリンで誕生。
ニューヨーク市のチームだった。
アトランティックスと名乗った。
その後、1932年に、
ブルックリン・ドジャースとなった。
ニューヨーク・ヤンキースと、
人気を二分した。
“dodger”は、
「変わり身の早い人間」とか、
「いかさま師、ペテン師」とか、
そんな意味がある。
アメリカン・ジョークだ。
1950年に弁護士のウォルター・オマリーが、
球団を買い取ってオーナーになると、
次々に改革を断行した。
1957年のオフに、
ロサンゼルスへの移転を決めた。
ブルックリンのファンたちは大いに悲しんだ。
そしてオマリーを憎んだ。
彼らは言った。
20世紀の三大悪人は、
「ヒトラー、スターリン、オマリー」だ。
しかしウォルター・オマリーは、
当時として珍しい専業オーナーだった。
つまり球団経営に専念した。
ブルックリンからロサンゼルスへ移転して、
Baseballの人気は西海岸に広がった。
ドジャースは人気も観客動員も、
米国メジャーリーグのトップとなった。
このウォルター・オマリーと、
息子のピーター・オマリーは、
ドジャースに革新的経営をもたらした。
第1はロスへのフランチャイズ移転だが、
第2は1962年の新球場の建設。
チェーンストアで言えば、
新天地にドミナントエリアを求め、
本部店舗を新設した。
日本で言えば、
北海道日本ハムファイターズか。
このチームが大谷のプロの出発点だった。
私がはじめて大リーグを見たのは、
ドジャースタジアムだ。
もちろんドジャースのゲームだ。
1984年、食品商業編集記者の時代、
「ラルフの24時間」という記事を書いた。
当時のロス一番のスーパーマーケットに、
一昼夜潜り込んで観察し、
その模様をPhotoReportした記事だ。
30ページくらいを割いたと思う。
記事は大好評だった。
夕方の6時過ぎから、
翌日の夕方6時ごろまで、
店に張り付いた。
そのためにサウスバーモント店の横の、
モーテルを借りた。
ロスのダウンタウンの、
荒廃としたエリアだったが、
この800坪の店舗は、
年商70億円を超えた大繁盛店だった。
24時間ウォッチングではあったが、
私は昼すぎに、ちょっと抜け出して、
単身、ドジャースタジアムへ行った。
タクシーで往復して、
ゲームを堪能した。
話は戻って、
オマリーの革新の第3は、
球団経営に終身雇用制を採用したことだ。
家族主義的なマネジメントである。
そこで1990年まで、
FORTUNEの「働きがいのある企業100」に、
ロサンゼルス・ドジャースは、
何度も選ばれた。
そう、あのウェグマンズが、
常連の調査である。
野茂英雄が旋風を巻き起こしたドジャース。
大谷の年俸は10年間で7億ドル。
150円換算で1050億円。
1年平均7000万ドル、
105億円。
これは世界のスポーツ史上最高額。
これまではリオネル・メッシだった。
5400万ドル。
それを超えた。
しかし大谷は、
金にこだわる選手ではない。
周辺がつくってくれた金額だ。
本人はBaseballに専念する。
その価値があるtwo-way playerだ。
最高のピッチャーで最高のバッター。
かつてのオマリー時代ではあるが、
「働きがいのある企業」だったドジャース。
大谷翔平にとっては、
最適の環境だと思う。
おめでとう。
〈結城義晴〉