パリ五輪開会式の創造性・現代性・多様性に感動した。
日本時間午前2時に始まって、
6時まで続いた。
最後まで見てしまった。
感動した。
競技場のトラックを、
選手団が行進する。
それが開会式だった。
しかしパリ五輪は、
競技場という狭い世界を脱出した。
そしてパリという街を「行進」した。
街の中央を横断するセーヌ川。
その川を6キロ、船で入場し、退場する。
選手たちのパレードの合間に、
さまざまなパフォーマンスが展開された。
フランスで絶大な人気を誇る、
アヤ・ナカムラは、
ルーブル美術館前で歌って踊った。
アフリカ系フランス人女性歌手。
フィナーレはセリーヌ・ディオン。
カナダ人の世界的歌手。
エッフェル塔のステージで、
エディット・ピアフの「愛の讃歌」を、
朗々と歌った。
パレードとパフォーマンスの融合。
そのテーマはダイバーシティ。
ロシアや中国、
そしてトランプ的アメリカ。
その古い秩序。
パリにはそれらに対する、
新しい概念が表明された。
古いものと新しいものの分断と相克。
それが今の世界だ。
パリ五輪開幕式はその分断と相克を、
私たちが乗り超える可能性を示した。
ギリシャのアテネで点火された聖火は、
車椅子に乗った100歳のシャルル・コストさんから、
最後に二人のアスリートに渡された。
最後の聖火ランナーは、
テディ・リネールとマリージョゼ・ペレク。
ともにフランスの金メダリスト。
リネールは柔道男子100kg超級、
ペレクは陸上女子200m、400m。
ルーブル宮殿前のチュルリー公園。
その真ん中に大きな噴水の池がある。
その池の上に大きな気球が用意された。
その気球の聖火台に点火。
手前がルーブル、
左にエッフェル塔、
右にシャンゼリゼと凱旋門。
黒々としたところがセーヌ川。
それらを見渡すように、
気球の聖火は灯り続ける。
パリという街と一体化した、
2024オリンピック。
近代オリンピックは1896年、
フランスのピエール・クーベルタン男爵によって、
復興された。
古代ギリシャ時代、
エーリス地方のオリンピアで、
4年に1回、スポーツの祭典が開催された。
ギリシャ人はこれを格別に神聖視して、
大会前後の3カ月を休戦期間とした。
今、オリンピック期間とその前後、
世界に平和をもたらすことができないか。
そんな願いが込められていた。
フランス人の創造力、
フランス人の反骨性、
フランス人の多様性、
フランス人の現代性。
そして経済性。
フランスという国が、
なぜこの21世紀に存在するのか。
この開会式に、
その意義が鮮明に表現されていた。
残念ながら東京五輪を、
はるかに凌駕していた。
日本ではなぜ、
土建屋の五輪となってしまったのか。
そこにはいまだに、
20世紀の考え方が残っていた。
対してパリオリンピックには、
ギリシャの紀元前8世紀に起こった、
「オリンピズム」の哲学が継承されていた。
世界の発展、国際理解、平和と共存する。
社会や倫理教育の場でスポーツの役割を強調する。
それがオリンピズムである。
パリは18世紀の後半に、
世界の文化と芸術と科学の中心となった。
オリンピズムとパリ。
それがこの開会式で融合した。
人種、性別、年齢、国籍、宗教、
そして学歴、職歴、性自認、趣味嗜好。
それらの「多様性」が21世紀の中核をなすものだ。
私たちが目指す新しい「商売の世界」も同じだ。
207の国と地域が参加した。
香港も台湾も中華人民共和国とは、
独立した地域として参加した。
オリンピック開会式は、
理想的な社会の在り方を、
1日の6分の1の「ほんのひととき」ではあったが、
世界中に示した。
私はそれに感動した。
未来を見通すパリ五輪。
見ることができて幸せだ。
ありがとう。
〈結城義晴〉
2 件のコメント
開会式の映像を見て、私も、フランスの誇り高さ、激しさ、芸術性を感じました。中途半端な小理屈を全て吹き飛ばしてしまう、伝統の重さと革新性に圧倒されます。
吉本さん、フランスは凄いですね。
私は1992年から12年くらい、
フランスのシアルの日本代表委員をやっていました。
だからフランスへの親近感があります。
ちゃらんぽらんなところもありますが、
凄い独創性をもっています。
それが開会式のグランドデザインによく出ていました。